あなたの年収は、学歴よりも住所で決まっている、と言われたらにわかに信じられるでしょうか? 先進国と途上国の給与格差の話ではありません。同じ国内です。アメリカでは、雇用の集中する都市と雇用が流出する都市の給与水準の格差が拡大し、ついに学歴の差を上回るインパクトを個人の給与水準に与えるに至りました。成長する都市の高卒者と衰退する都市の大卒者の年収が逆転しているのです。
 カリフォルニア大学バークレー校の気鋭の経済学者、エンリコ・モレッティの新著『年収は「住むところ」で決まる』では、この現象を「イノベーション産業の乗数効果」で説明しています。イノベーション系の仕事(たとえばエンジニア)1件に対し、地元のサービス業(たとえばヨガのインストラクター)の雇用が5件増えることがわかっています。この乗数効果は製造業2倍以上。この差が都市格差を拡大させ続けています。ものづくりにこだわる日本の針路についても考えさせられます。

※本連載では、プレジデント社の新刊『年収は「住むところ」で決まる』から「日本語版のための序章」を抜粋して<全4回>でお届けします。

拡大する一国内での地域経格差

中国とインドでは毎年、何百万人もの農民たちが故郷の村を離れ、無秩序に広がる都市に移り住み、増え続ける工場のいずれかで職に就いている。日本やアメリカなどの先進国で暮らす人たちは、そうした巨大な工場が生み出す膨大な数の雇用、工場からひっきりなしに吐き出される工業製品の数々、そして、これらの国の目を見張るような生活水準の向上を、驚きと恐れの入り混じった思いで見ている。先進国の住人がおそらく忘れているのは、それがそう遠くない昔の自分たちの姿にほかならないということだ。彼らも数十年前、低所得社会から中流社会への移行を成し遂げた。その際に原動力になった要素も、いまの中国やインドと同じだった。それは製造業の旺盛な雇用である。

第2次世界大戦が終わったころ、日本とアメリカの家庭は、今日に比べるとまだ貧しかった。乳幼児の死亡率は高く、給料も安く、消費に回せる金も少なかった。冷蔵庫や洗濯機などの家電製品は珍しく、新しい靴を買うのは、ほとんどの人にとって人生の一大イベントだった。テレビをもっている家庭もほんの一握りにすぎなかった。

しかしその後の30年ほどの間に、日本とアメリカの社会は、人類の歴史上有数の急激な変化を経験する。所得は急上昇し、社会のあらゆる階層で消費が飛躍的に拡大した。国内のあらゆる地域の人々がそれまでにない豊かさを実感し、将来に対して楽観的な気持ちをいだくようになった。1975年までに、日本とアメリカの乳幼児死亡率は半分に下がり、生活水準は2倍に上昇。冷蔵庫や洗濯機の価格も安くなり、誰でも買えるようになった。新しい靴を買うのは人生のありふれた1コマとなり、大半の家庭がテレビを保有するようになった。日本とアメリカの社会は、わずか1世代の間に中流社会に変貌したのである。

この時期の中流層の所得増と切っても切れない関係にあったのが、自動車、化学、電動工具といった製造業における生産性の向上だった。当時、多くの人は、工場で安定した高賃金の職に就くことをめざした。そうすれば、文化的にも経済的にも中流層の生活を満喫できた。マイホームを買い、週末は家族と過ごし、夏休みは旅行に出かけられた。工場でよい職に就ければ、豊かさと明るい未来が約束された時代だった。

1980年代に入ると、それが変わりはじめ、1990年代以降は、変化がますます加速している。日本でもアメリカでも、この20年ほど、グローバル化と技術の進歩により、製造業の雇用が減少してきた。製造業が下り坂になると、中流層の給料も伸び悩んだり、頭打ちになったりするようになった。自国が衰退期に突入したのではないかと、不安になるのも無理はない。しかし、経済の状況はそんなに単純ではない。昨今の経済論議では見落とされがちだが、一国の経済のある部分が経済的に苦しんでいるなかで、別の部分が繁栄を謳歌しているケースがある。とくに際立っているのは、一国内での地理的な格差が拡大してきていることだ。