ミスターとの「約束」

松井もアメリカに居を構え、ヤンキースGM特別アドバイザーとして傘下のマイナー選手を指導していた。今を時めくアーロン・ジャッジも松井の薫陶を受けた一人だ。それもあって、おそらく、松井が巨人監督になることはないだろうと思われていた。

しかし2025年6月3日、恩師である長嶋茂雄の逝去によって、その心境は大きく変化したようだ。長嶋の自宅を弔問した際に、「長嶋監督は私にたくさんのことを、授けてくださいました。今後、どういう形で次の世代に継承していくかということは、はっきりとした形は見えませんけれども、監督と生前、約束したこともあります。ここでは今はお話しすることができませんが、その約束を果たしたいなと思っています」と語った。この「約束」とは、長嶋の遺志を継いで巨人の監督になることだったのだろうか。

平成25年5月5日、安倍総理は東京ドームで、長嶋茂雄氏および松井秀喜氏に対する国民栄誉賞の表彰式を行い、表彰状、盾および記念品を授与
平成25年5月5日、安倍総理は東京ドームで、長嶋茂雄氏および松井秀喜氏に対する国民栄誉賞の表彰式を行い、表彰状、盾および記念品を授与(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

ここまでの物語は非常に麗しいものだが、松井を取り巻く状況は、必ずしも順風満帆とは言えない。

まず、監督、コーチの経験がない。2012年限りで現役引退後は、前述の通り悠々自適の日々を送っていた。ヤンキースのファームで若手を指導したり、巨人の春季キャンプで選手にアドバイスをすることはあったが、選手や首脳陣とがっぷり四つに組んでチーム強化に取り組んだことはなかった。

「いきなり監督」の苦い前例

長嶋は現役晩年の1972年から3年間、兼任コーチを務め、1974年限りで引退後即監督になった。しかし1975年のチームは47勝76敗7分、勝率.382、首位広島に27ゲーム差をつけられて球団創設以来初となる最下位に転落した。そこから張本勲を獲得するなど補強をして翌1976年にV字回復で優勝したが、本格的なコーチ経験を積まずに、いきなりチームの指揮を執るのは難しいといえる。

その後、監督就任が確実視された王貞治に関しては、引退後の1981年から83年まで、藤田元司監督のもと、助監督として、牧野茂ヘッドコーチも含めた「トロイカ体制」で経験を積ませている。

しかし、「引退即監督」が再び誕生することになる。2015年限りで現役を引退した高橋由伸を、2016年からいきなり監督に据えたのだ。本人は現役続行の意志が強かったが、渡邉恒雄最高顧問らの強い意向で監督就任を引き受けたのだ。高橋は1年目こそ2位に終わったが、その後は4位、3位と、3年の任期中で一度も優勝できなかった。リーグ戦が始まった1936年以降、巨人で優勝経験のない監督は藤本英雄、堀内恒夫を含め3人しかいない。そのことから、本格的なコーチ経験がないまま監督業を務める松井の船出は厳しいものになることが予想される。