高度経済成長以降の思想の退潮

本書『法律家が見た日本社会の病理』でもたびたび言及する鶴見俊輔、丸山眞男を始めとする戦後思想家たちの仕事、また、鮎川信夫あゆかわ のぶお、中桐雅夫なかぎり まさお、会田綱雄あいだ つなお、吉本隆明よしもと たかあき、大岡信おおおか まこと等々戦後派詩人たちの作品群についても、同様のことはいえる。

以上のような達成については、キリスト教等の基盤となる枠組みをもたない世界で、個人、ことに孤立した個人が、敗戦後の危機意識に基づく内省によって、自力で普遍と苦闘しながら得た稀有な成果だったということができよう。

しかし、日本が高度経済成長時代に入ると、芸術、思想の分野におけるそうした取り組みも、少しずつ退潮していった。

それからさらに半世紀を経て、現在、既成の保守派も左派も、人々を惹き付ける力を急速に失いつつあるように感じられる。そのことについては、政治や思想において、人々の人間としての尊厳を尊重し守り抜こうとする気概が、かつての時代以上に弱まっていることが、大きな理由なのではないだろうか。

社会の構築に必要な「個の尊厳」

若者の自尊感情・自己肯定感が低いことについても、自室や自宅からほとんど出られない重度の引きこもりが目立って多いことについても、自殺や老人の孤独死が多いことについても、その根底にある問題は、「人間の尊厳」、「個人の尊厳」を十分に尊重しない風土であり、また、家族や近隣等々の伝統的なセイフティネット、社会関係資本(ソーシャルキャピタル)の力が弱まるにつれそうした風土の欠点があらわになってきたという事態ではないか、そう感じられるのである。

筆者・瀬木比呂志さん
筆者・瀬木比呂志さん(ⓒKADOKAWA)

よくいわれる出生率の低下という大きな問題も、根本的にはこの問題につながっているように思われる。若者が安心して結婚し、子どもを産み、育てられる、特に女性がみずからのキャリアをそこなうことなくそうすることができ、周囲や配偶者が無理なくそれを助けられる、そのような制度、仕組みをきっちりと構築し、企業や組織に守らせない限り、いくらバラマキをやっても、事態の改善は望めない。

そして、そうした制度、仕組みを構築するためには、まずは、前提、必要条件として、制度構築者の側にも、それを実施する側にも、「人間の尊厳」、「個の尊厳」の観念が確立、浸透していることが求められるのである。