「すでに極楽にいる」と考えてみる
今の日本で暮らす私たちの日常を振り返ってみれば、飢えで命を落とす心配はなく、戦火に日常を破壊される恐れもなく、自分の思ったことを自分の言葉で発信することもできる。これは、歴史的にも世界的にも、決して当たり前の環境ではない。
だとすれば、天国か地獄かという死後の行き先を論じる前に、私たちはすでに「極楽」の中で生きている、と考えてみてもいいのではないか。
もちろん日々大変なこともあるだろう。すべてが楽しい事ばかりでないのも当然のことだ。
しかし、「好きなことを大切にする」「周囲の人と健やかに過ごす」「嫌なことは無理にしない」など、そうした1つひとつの選択によって、この世の極楽をより深く味わう姿勢を持ってみる。
それは現実逃避ではなく、すでに与えられているものへの気づきである。
「死」を日常に取り込むことの意味
死は、生が終わってから始まるものではなくて、日常の裏側にひっそりと隠れている。本来は日常と背中合わせに存在し、私たちの生の価値を照らし出す光源のようなものだ。
自分の寿命や死因を完全にコントロールすることはできない。だからこそ、等身大の自分として死に向き合い、生の世界にあえて「死」を取り込む作業が必要になるのではないか。
そしてその先に見えてくるのは、絶望ではなく、飢えも戦争もなく、自分の言葉で生きられる「今」という時間の静かな豊かさなのではないだろうか。
検索時にプレジデントオンラインに関連する記事が表示されます



