阪神・淡路大震災の記憶
ワークショップで死の記憶を語り合った際、小学生のころの祖母の記憶と併せて、阪神・淡路大震災に遭遇したことも話した。
いちばんの記憶は、家に遊びに来たことのある娘の保育所の同級生が、自宅の下敷きになって亡くなったと知った日のことだ。我が子と彼女の立場が入れ替わっていたとしても、何ら不思議ではなかった。
日々の生活の中で、私たちはつい不平不満を漏らしてしまう。しかし、私たちが無為に過ごしている「今日」という時間は、あの日命を奪われた人々が、喉から手が出るほど生きたかった「明日」なのだ。
毎年1月17日が巡ってくるたびに、「今生きていること」の重みを再確認させられる。
実際に死んでみないとわからない…
死後の行き先を巡る問いは、おそらく生きている間には解けない。実際に死んでみないと本当のことはわからないし、死んでもわかるとは限らない。誰にも証明できない。だが、この「わからなさ」こそが、視点を反転させるきっかけになる。
答えの出ない死後の議論に留まるよりも、今生きていることのほうへ目を転じるのも、1つの手立てではないだろうか。
寿命が延び、還暦を過ぎてもなお20年、30年という時間が残されているのは、人類の長い歴史の中で、現代を生きる私たちだけが享受できる恵みである。
織田信長が好んで舞った幸若舞の演目「敦盛」では、「人間50年」、団塊の世代の直後に生まれた男性の平均寿命は59.5歳(1950~52年の3年平均)だった。それに比べれば、70年を超えて生きられるということ自体が、すでに1つの僥倖である。

