「死のワークショップ」の3ステップ

約2時間半に及ぶワークショップは、大きく3つのステップで進められた。

ステップ1:導入・マインドセット

現在の平均寿命や日本人の死因上位などの説明を受けたうえで、参加者同士がこれまでの人生で抱いた死への記憶や思いを語り合う。

ステップ2:自分の「死亡診断書」を書く

自分自身の死亡診断書を、自分の手で書いてみるワーク。

ステップ3:死のワーク(メインワーク)

大切な物や思い出、大事な人間関係を1枚ずつカードに書き出し、最期の時が徐々に迫るという設定の中でそれらを少しずつ手放していく。何を最後まで手放せないかに気づくことで、自分が本当に大切にしているものが浮かび上がる仕掛けである。

今回はこの3段階のうち、まずステップ1の「死についての思いや体験を語り合う」場面を起点に、そこで感じたことを書いてみたい。

「人は死んだらどこに行くのか」

ワークショップ当日、参加者は、親を看取った経験や後輩の死、自死した友人のことなどをそれぞれに語った。私自身の番が回ってきたとき、口をついて出てきたのは、半世紀近く前の、小学生のときの記憶だった。

小学4年生のとき、自宅で祖母が亡くなった。可愛がってもらっていたので、ショックは大きかった。その頃、布団の中で3つの疑問を繰り返しては怖がっていたのを覚えている。

1つ目は、「人は死んだらどこに行くのか」。
2つ目は、「宇宙の果ての果てには何があるのか」。
3つ目は、「昨日眠った自分と、今朝目覚めた自分は、同じ自分なのか」。

1つ目の疑問がおそらく最も本質的なものだろう。それは2つ目の、果てのない宇宙への問いともどこかでつながっている気がする。3つ目の疑問は、輪廻転生という考え方に近いのかもしれない。

高齢者大学で講演する機会があると、「小さい子どもが無性に可愛く思えるようになった」と話す方が少なくない。その理由を考えるとき、そこには輪廻転生的な感覚が働いているのではないかと感じることがある。

話を戻すが、もちろん、この3つの疑問は何十年経った今も解けていない。死んだらどこに行くのかを考えると、「何もない無になる」「地獄か極楽に行く」「輪廻転生で生まれ変わる」というあたりが選択肢として浮かぶ。

「地獄や極楽は迷信だ」「輪廻転生など非科学的だ」という人は多いだろう。しかし、「では、あなたの死後はどうなるのですか?」と問われて、自信をもって答えられる人は案外少ない。