【田原】藤田さんは広告代理店で十分に稼いでいた。それなのに、どうしてメディアをやろうと思ったの?
【藤田】「21世紀を代表する会社を創る」というのが、サイバーエージェントのビジョンです。それを実現するには、広告代理店では難しいので。
【田原】ネットの広告代理店として、いまサイバーエージェントは何位ですか。
【藤田】圧倒的に1位です。
【田原】なら、21世紀を代表する企業といってもいいんじゃない?
【藤田】いやあ、圧倒的な1位なのに、このぐらいの規模ですから。グーグルとか、ヤフージャパンのような稼ぎ方をしないと、ネットの中では影響力を持てません。広告代理店って、結局は人のものを販売しているだけ。たとえばグーグルの代理店になっていると、グーグルに切られたら終わりという非常に弱い立場にいる。それに広告主からも値引きを要求されたりもします。
【田原】はっきり言うと、広告代理店事業はあまりおもしろくないわけね。
【藤田】僕は代理店業に対するコンプレックスを昔から持っていました。最初に入ったのはリクルートを辞めたメンバーがつくった会社で、リクルートの代理店をやっていた。やっていることは、営業ですよね。
【田原】リクルートの社員は、コンプレックスなんて持ってないと思うよ。
【藤田】リクルートは自分でメディアを持っているからです。僕たちはリクルートに厳しいことを言われても、言い返せない。僕が代理店からキャリアをスタートさせたのはたまたまなんですけど、そのとき経験した弱い立場というものがコンプレックスになっていて。
【田原】それもあってメディア事業がやりたかったわけだ。それにしても、なぜブログだったのですか。
【藤田】インターネットのメディアって、当時はポータルサイトくらいしかなかったんですよね。でも、そこはヤフーが独占している。ほかにイケそうなものがないかとずっと探していたときに出合ったのがブログでした。
【田原】ほかの会社は、ブログをやってなかったの?
【藤田】いや、堀江さん(堀江貴文氏)のライブドアもやっていたし、ニフティやヤフー、楽天もやっていました。うちも含めてみんな一斉にスタートして横一線でしたが、そのころ堀江さんがよくマスコミに出ていて、ライブドアが頭一つ抜けかけた状態でした。
1973年、福井県生まれ。青山学院大学卒業後、インテリジェンスを経て、98年、24歳でサイバーエージェント設立。インターネットの広告代理店事業で躍進し、2000年、当時史上最年少で東証マザーズ上場を果たす。現在、芸能人ブログやゲームなどを展開するインターネットサービス「アメーバ」が主力事業。
田原総一朗
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所、テレビ東京を経てフリーに。活字と放送の両メディアで評論活動を続けている。『塀の上を走れ』『人を惹きつける新しいリーダーの条件』など著書多数。