信長の三男・信孝が再び謀反し…

秀吉は3月晦日(30日)付で秀長に「今日中に砦の堀外の小屋を破壊せよ」「勝豊の小屋の築造に協力せよ」「堀秀政の小屋は分担して今日中に破壊せよ」「小屋の火の用心を怠るな」などと指示を与えている。堀秀政、黒田孝高、木村隼人らの名前も出ており、秀長が前線の統括者であったことが分かる。秀吉は前線は秀長に任せ、北伊勢の戦線を視察する予定だったが、再度の謀反むほんは起こさないと高をくくっていた織田信孝(信長の三男)が岐阜城で敵対行動をしたため、北伊勢は信雄(信長の次男)に任せたまま、岐阜城攻めに進軍する。

秀吉は4月3日付で秀長に書状を認したため、次のように細々と指示した。

柴田方の陣取について「おかしき仕立したて」と揶揄やゆし、