バスケットボールシューズ「タイガー」誕生

もちろんそのアイデアとて、一筋縄ではかたちにはならなかったが、しつこさが売りの喜八郎である。再び試作を繰り返し、いよいよ吸盤付きのソールをもつバスケットボールシューズが完成した。神戸高校の選手たちに履かせたところ、滑りすぎる問題はみごとなまでに解消されていた。

財部誠一『敗れてもまた走れ アシックス創業者 鬼塚喜八郎の情熱』(NewsPicksパブリッシング)
財部誠一『敗れてもまた走れ アシックス創業者 鬼塚喜八郎の情熱』(NewsPicksパブリッシング)

しかし、今度は目の前で、試作品を履いた選手たちが急ストップするたび、バタバタと倒れはじめた。

「バカヤロー。捻挫でもしたらどうするんだ」

見かねて松本も声を荒げる。新しいシューズは、止まりすぎたのだ。練習後、松本と喜八郎は話し込んだ。

「アイデア自体は悪くない。しかし、あれでは使いものにならない。ストップ性能をなんとか調整できないか」

吸盤の大きさやかたちを変えるために、再度、金型からつくり直してのチャレンジである。

いまでこそ、「靴底=ソール」にさまざまな形状の凹凸をつけることで、競技特性に応じた最適な機能を付与することが当たり前だが、敗戦直後の日本は、テニスシューズでも陸上競技でも、スポーツシューズはズック靴か、地下足袋じかたびという時代だった。

その後も松本のアドバイスを受けながら改良を重ね、ついに1951(昭和26)年、「吸着盤型バスケットボールシューズ」が誕生する。

喜八郎は当初から、自らが生み出したバスケットボールシューズに「タイガー」というブランド名をつけた。

1951年に誕生した「吸着盤型バスケットボールシューズ」
1951年に誕生した「吸着盤型バスケットボールシューズ」[写真提供=ASICS]
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