「鬼塚ビジネスモデル」の原点
それからというもの、毎日午後3時になると喜八郎は神戸高校の体育館に足を運び、部員たちが練習する横で球拾いをしながら選手のフットワークを研究しはじめた。同時に、松本からアメリカのバスケットボールの手引書の翻訳を借りて、競技特性を理論的に学んでいった。そこで繰り返し試作品をつくり、神戸高校の選手に履いてもらって感想をヒアリングした。
ところが、これもなかなか厄介で、どれだけよいシューズがつくれたとしても、食の好みと同様、細かいところの感じ方は人それぞれである。極端にいえば、「万人が認めるシューズ」は存在しない。
すべてが個別具体という事実を、シューズという一つの商品にどう収斂していくのか。選手それぞれの微妙に違う反応を克明に記録し、それを根気よく改良していくという後年のオニツカタイガーのビジネスモデルの原点は、この神戸高校での喜八郎の経験にあった。
試作を重ねてようやく、これでいけるかもしれない……となった段階で、松本は選手全員にそのシューズを履かせて練習試合を行なった。
しかし、本気で試合をしてみると、練習ではわからなかった欠陥が露呈した。試作品のシューズは滑りすぎるのだ。オフェンスからディフェンスへ、ディフェンスからオフェンスへと急激に攻守が入れ替わる際、ピタッとストップできずに滑ってしまう。
夕食のおかずから得た革新的アイデア
「これではダメだ」
使いものにならないことは、すぐわかった。靴底のゴムの品質のせいなのか、滑り止めの役割を果たす模様が原因なのかはわからないが、いずれにしても、靴底に問題があることは明らかだった。
とはいえ、何をどう改善したらよいのかの見当もつかない。アメリカ製のバスケットボールシューズを手に入れ、分解して調べたりもしたが、答えは見えなかった。
悶々とした日々が続いたある日、自宅で福弥(*1)が用意した夕食のおかずに喜八郎は目を落とした。その瞬間、頭のなかを稲妻が駆けめぐった。
「これだ!」
酢の物に入っていたタコの吸盤にその目は張りついた。タコは吸盤の圧力を調整してものを吸着する。この形状を利用すれば、うまくすると滑らないシューズがつくれるのではないか……。
興奮した喜八郎は夕食もそこそこに、金型屋に向かって猛然と自転車のペダルを漕いだ。
*1 鬼塚清市、福弥夫妻は、戦後、喜八郎の養親となった。

