高市・麻生は「時代遅れの政治家」
皇室典範改正前の天皇の発言と、改正後の秋篠宮発言を見てみると、この2人が、この問題で緊密に連絡を取り、話し合っていると、私は考えている。そうでなければ、ここまで踏み込んだ発言を、秋篠宮がするはずはない。
秋篠宮家は2女1男だが、「子育てで男女の区別は一切しない」と公言している。
子どもだけではなく、皇嗣になってから、秋篠宮家に仕える人たちの呼称を、男性職員を「侍従」、女性職員を「女官」や「侍女」と呼んでいたのをすべて「宮務官」と改めた。
秋篠宮から見ると、「男系男子」に拘り続ける高市首相や麻生副総裁は、「時代遅れの頑迷固陋な政治家」に見えているに違いない。
さらに、秋篠宮は子どもたちの教育を学習院任せにしなかった。
長女の眞子さんは学習院初等科に入学し、その後、学習院女子中・高等科に進んだが、大学はAO入試で国際基督教大学に進んでいる。次女の佳子さんも学習院初等科から学習院大学まで進むが、中退して眞子さんのように、AO入試で国際基督教大学に入学している。
長男の悠仁さんの学歴はさらに“異例”である。お茶の水女子大学附属幼稚園から附属小学校、中学校と進み、高校は筑波大学附属高等学校。そこから筑波大学に進み、現在2年生である。
悠仁さまを筑波に送った意味
皇族の人たちのほとんどが入る学習院には見向きもしなかったため、学習院の同窓生などからは、秋篠宮家の教育方針に批判する向きもあるらしい。
自身も学習院出身の麻生副総裁などは、その筆頭で、それ故に、旧宮家から養子を迎え入れ、その男性が結婚して男の子が生まれれば天皇にするなどという、「悠仁さん軽視」とも思われかねない奇策を強行したのではないか、と見る向きもあるようだ。
悠仁さんの教育方針を決めたのは紀子さんだといわれる。秋篠宮が紀子さんと知り合ったのは学習院大学のキャンパスだった。
学習院をよく知る2人が、なぜ、将来の天皇になる長男を学習院で学ばせなかったのだろうか。
諸説あるが、私は、息子が学習院という箱庭のようなところで、“蝶よ花よ”と囃され、「ひ弱な花」になることを嫌ったのではないか、と考えている。
息子には自由な雰囲気の学校で、普通の生活を営んでいる多くの学友らと語らい、学ぶことで、これまでとは違った「天皇像」を、息子に期待したのではないか。

