退職金の思わぬ落とし穴
美智子さんは、「会社を辞める=退職金が支給される」と考え、退職金を受け取るのは63歳で会社を去るときだと思い込んでいました。そのため、「退職金はいつ支給されるの?」と、あえて確認することもありませんでした。
これまで夫の給与は、美智子さんが家計を預かって管理してきました。そのため、退職金も同じように家計に入り、夫婦の老後のために使うものだと疑っていなかったのです。
夫が63歳で会社を辞める時期が近づいた頃、美智子さんは、築年数が経った自宅のリフォームを考えるようになりました。水回りも古くなり、老後を迎える前に一度きれいにしておきたいと思ったのです。
ある日、美智子さんは夫にこう切り出しました。
「退職金が出たら、家のリフォームに少し使いたいんだけど、いつ頃振り込まれるの?」
しかし、夫は黙ったままです。
「聞いてる?」
そう声をかけても返事はありません。都合が悪くなると黙り込むのは昔からでしたが、その日は妙な胸騒ぎがしました。
「退職金、ちゃんと出るよね?」
すると、しばらくして夫がぼそりと口を開きました。
「……もう出てるよ」
思わず耳を疑いました。
「俺がもらったお金、どう使おうが俺の勝手」
夫の会社は60歳定年で、退職金もその時点で支給されていたのです。夫は定年後は再雇用で嘱託社員として働き続けていました。
「えっ……じゃあ、そのお金はどこにあるの?」
美智子さんが尋ねると、夫は面倒そうに言いました。
「俺が働いてもらった金なんだから、どう使おうが俺の勝手だろ」
夫は退職金の振込先を給与口座とは別の口座に指定し、美智子さんが知らないうちに受け取っていました。さらに話を聞いているうちに、退職金の大半は既に使われていることがわかったのです。何に使ったのか尋ねても、夫は最後まで納得できる説明をしませんでした。
「これから年金も入るんだから、生活には困らないだろ」
まるでたいしたことではないと言わんばかりの夫の態度に、美智子さんは言葉を失いました。ショックだったのは、お金がなくなっていたことだけではありません。夫が相談もなく退職金を受け取り、こちらが聞くまで何も話してくれなかったこと。そして、それを悪びれる様子もなく話す夫の姿でした。
その瞬間、離婚を思いとどまらせていた「老後の安心」は音を立てて崩れ去りました。
「やっぱり、この人とはこの先一緒に暮らしていけない」
長年心のどこかに押し込めてきた思いが、ついに離婚という決断へと変わったのです。

