乳がんステージ2が発覚
そうやって苦難の多い10代を過ごした足立さんは2015年3月に短大を卒業し、同じ年の4月には大学へ編入した。
相変わらず家事もせず、精神的に不安定だった母親は、父親と足立さんがサポートすることで生活して日々をなんとか乗り越えていたが、その年の1月、母親は自分の胸にしこりがあることに気づいた。だが、「怖いから病院はいきたくない」と言う。
しかし、祖母が母親を連れて病院へ行き、検査を受けると乳がんのステージ2。すぐに手術と抗がん剤治療の日程が組まれた。
それからだった。母親は足立さんが中学受験をした時よりも激しく“発狂”し、家族の誰もが手をつけられない状態になった。
「当時の母は目を常に見開いて、興奮して顔を紅潮させていて、『もうどうせ死ぬんだから!』と泣きわめきながら暴れたり、ガスコンロでプラスチック製品を燃やしてボヤ騒ぎを起こしたり。さすがに祖父母も『放火されるんじゃ?』『殺されるんじゃ?』と怖くなったみたいで、夜になると包丁を隠してから寝ていました」
ずっと母親の機嫌をとり続けていた
極め付きは、突然、ピストル自殺を思いついた母親が、交番に飛び込んだことだ。
警察官が取り押さえ、手がつけられないほどに興奮状態になった母親は、総合病院の精神科の隔離病棟に措置入院させられることとなる。
「『精神疾患』に偏見がある祖父母でしたが、乳がんが発覚してからの母はずっともう手に負えない状態なので、もう致し方ない感じでした」
措置入院当初、拘束されていた1週間ほどは面会ができなかったが、薬で落ち着いてくると拘束されなくなり、一般病棟に移され、面会ができるようになった。
「病院の建物が、内科や外科はリニューアルされたきれいな病棟なのに、精神科の病棟は暗くて古い病棟で、そこに行くまでは長い渡り廊下を通らねばならず、なんだか『差別的』に感じました。縛られているというのも、母が自分を傷つけないためとはいえ、ショックでした。まだ大学に編入したばかりだったので、『私の人生はどうなってしまうんだろう』と思いました」
母親は措置入院を3カ月ほどしたあと、同じ病院で乳がんの手術を受けることに。がんを摘出した後は、抗がん剤治療に移った。
「母が入院中、家の中は平和でしたが、退院後、抗がん剤治療期間中は、とにかく母の機嫌をとるのが全てになりました。抗がん剤で髪が抜けてしまうことに母がショックを受けないように、家中の鏡を外したり、ウィッグや帽子を買ったり。ずっと機嫌をとり続けないと、いつまた“発狂”するかわからなかったからです」
乳がん検査後、母親に散々手を焼いた祖父母は、高齢になっていたこともあり、母親の世話を足立さんと父親に丸投げするように。病院の付き添いのため、父親は仕事を、足立さんは大学を休まなければならなかった。
7年前から母親は引きこもり状態かつ要介護状態。父親は母親のせいで胃を壊し、宗教にのめり込み、自宅を出てひとり暮らししている。
現在30代の足立さんは、これまで毒母を捨てて家を出る計画を何度も立てたが、実行できないまま10年の月日が流れた。


