5歳の頃、母親がおかしいと思った

足立さんの母親は、住宅系の自営業の祖父と専業主婦の祖母の間に生まれた一人娘だった。母親は高校を卒業して大手飲料メーカーに勤めたあと、団体職員に転職していた。

「祖父母も26とかで結婚していて、当時としては晩婚だったと思います。もともと母には結婚したい人がいましたが、祖父がものすごくプライドが高い人で、相手が長男だから、ひとり娘を嫁にやりたくなくて猛反対して別れさせました。そして知り合いに、『次男で婿養子になれる男はいないか?』みたいな感じで声をかけまくって、『独身で年の近い男性がいる、それも次男だ』と聞いて紹介されたのが公務員の父でした」

母親は31歳、父親は35歳で結婚し、翌年足立さんが生まれた。

父親は公務員のため、収入は安定している。無理やり結婚させられたとはいえ、娘に恵まれ、幸せな結婚生活を送っていたのかと思いきや、全くそうではなかった。

「結婚後、両親は祖父母が経営している祖父母宅近くのアパートで暮らし始めたのですが、私が小6の頃に母が精神的に不安定になったため、母は私を連れて祖父母宅に戻り、父は夜勤があったため、メインは祖父母の家ですが、アパートには寝に帰るという生活になりました」

足立さんが母親のおかしなところに気がついたのは、5歳くらいの頃だった。

「お母さんって普通は、大人の目線で物事を見てるっていうか、社会のルールみたいなものを子どもに教える側なはずなのですけれど、うちの母は子どもと同じ言動を率先してやっているな……って思っていました」

成長するにつれ、「うちの母はなんかちょっと違う」という思いがどんどん強くなっていった。

「小学生の時、母は見栄を張りたいのか幸せなふりをしたいのか、運動会や文化祭などの学校行事に一番乗りでやってきました。(悪目立ちするから)やめてといってもやめてくれなくて、『他の人には負けない』みたいな謎の意地で朝早くから並んでいて、友だちからも『また一番だったね!』と言われるんです。『子どもの活躍が見たくて』という純粋な気持ちというより、『うちは幸せ! 私は子ども思いなんです!』的なアピールっぽくて、それがしんどくて、『中学では親はほとんど来ないから』と伝えるようにしたら、『そうなの?』と言って、中学からは来なくなりました」

「塾の先生が娘と付き合っている」という妄想

母親が最も精神的に不安定になったきっかけは、足立さんが中学受験をすることになったことだった。

「母は幼すぎるというか、親らしくないというか。幼い頃から『なんかおかしいな』と思うことはあったのですが、わがままでした。でもそれを表す言葉がなくて、ずっとスルーしていました。それでも、だんだん成長するにつれて、やっぱり『この人はおかしい』と明確に思う場面が増えてきました。私に中学受験を勧めたのは母や祖父母なのに、母が『全部落ちたらどうしよう』みたいなプレッシャーに押しつぶされて、不安や恐怖のせいで“発狂”しちゃったんです」

突然、母親は支離滅裂な言動を繰り返すようになった。

「私が塾の先生と付き合っていると思い込んで、少しでも帰りが遅いと塾に電話をして暴言を吐くとか、被害妄想で誰に対しても攻撃的になってしまって。なので、他の子は受験本番へ向けてみんな追い込みで、夜遅くまで塾に残って勉強しているのに、私だけ早く帰らなきゃならなくて、結局第一志望は落ちて、滑り止めに通うことになりました」

この時、祖父は66歳、祖母は64歳。“発狂”してしまった母親を主に祖父が付き添って精神科を連れて行った。

「がんなどの内科系の病気だったら、血液検査とかCTとかMRIとかの検査でわかるんでしょうけど、精神疾患はあまりはっきりしたことがわかりません。プライドの高い祖父は、自分の娘に精神疾患があるなんて認めたくなかったのでしょう。診断を不服として、3つのクリニックに行ったんですが、全部診断名が違ったんです」

その3つの診断名は、「パニック障害」「躁鬱病」「統合失調症」。祖父母や両親は「どれを信じたらいいのかわからない状態」に陥ったが、どれもが受け入れがたい診断名だった。

ストレスで爪をいじっている女性
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