「日本の流通業を近代化させたのは、中内さんでした。ずっと業界のトップ企業で走り、消費者サイドに立った規制緩和を実現させた。あんな骨のある経営者は、なかなかいません」
スーパースターについて語る野球少年のような純粋な眼差しで、語り始めた。ダイエーの創業者・中内功氏は、戦後日本経済史のなかでも最大級のカリスマであるのは間違いない。カリスマがカリスマとして絶頂だった1980年代前半、4年間にわたりかばん持ち(秘書)で仕えたのが著者である。26歳で着任した当初、「上品で育ちのいい人」との印象を持つ。
「自分を『僕』と言い、私は『君』と呼ばれたから。もっと、怖い人かと想像してました」
同書は、経営者の人物本にありがちな礼賛一辺倒ではないのが特徴。長男・潤氏への事業継承のタイミングがうまくいかなかったこと、旧忠実屋および旧ヤオハン買収の失敗も論じている。特に、(1992年の)忠実屋買収を「私は反対しました。GMS(総合スーパー)の時代は終わったので、SM(食品スーパー)のいなげやを買うべきと主張した。結果、私は外されましたが」。
さらに、中内氏の肝いりで始めたハイパーマーケット業態を「やめるべきです」と直言し、「気が狂ったんとちゃうか」と恫喝されたことも載っている。
著者は秘書役の後、経営企画畑を歩みM&A(企業の合併買収)、事業開発を担当。ダイエーの経営中枢で活躍するが、カリスマに物怖じしなかったようだ。
神戸商工会議所のカラオケ大会、フェスティバルホールでの関西財界人歌謡大会、入れ歯の破損など、秘書だから知る微笑ましい話も盛りだくさん。一方で、リクルートや忠実屋買収における水面下の様子が赤裸々に描かれているのは、同書の魅力。
実は私も、中内氏には何度も取材した。会社よりも、田園調布の自宅への“夜回り”で会った回数のほうが多い。言葉としてではなく、眼の動きや仕草、雰囲気からニュースを嗅ぎ取らなければならなかった。居間に上げてもらえたこともあったが、たいていは玄関先。闇の中、眼光が記者団を鋭く射るのを何度も見た。
「オーストラリアから生体牛を輸入したり、地球の四季を利用してグリーンアスパラを各国から調達したりと、消費者との接点である店頭を最高にするにはどうすべきか、中内さんはいつも考えてました。世界観が桁外れに大きかった」
あれほど存在感がある経営者は、いまは少なくなった。