<AI革命、グローバル標準への対応が求められる時代に「世界で通用する18歳」を育てるには、親や教師は何をするべきか? 渡米33年、ニュージャージー州プリンストン在住の作家・ジャーナリストで教育者でもある冷泉彰彦氏が、教育と子育ての「世界標準」を解説する新刊『世界の一流は「子ども」に何を教えているのか』(クロスメディア・パブリッシング)より一部を抜粋する>
講堂内の机と椅子
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学校と塾の「二重教育」が当たり前の日本

日本の特に都市部では、50年以上前の昭和の時代から当たり前になっているのですが、日本では基本的に、「学校に属して学ぶ」以外にもうひとつ、別の教育機関に通学して学習をします。

塾や予備校というのがこの「別の教育機関」です。そして、非常に奇妙なことなのですが、学校は文部科学省が管轄していますが、塾や予備校は経済産業省の所轄であり、また許認可はないし、教員も無資格で構わないことになっています。その一方で、義務教育期間の学校は無償、また高校も原則無償ですが、塾は営利企業がやっているので有償です。

どうしてこのような「二重教育」が定着しているのかというと、日本の小中高のシステムというのは、公教育だけでは、次の段階の学校には進学しづらいシステムになっているからです。

まず、高校受験ですが、都道府県によって違いがあり、また公立と私立や国立はまた事情が異なるのですが、基本的に「中学校でちゃんと勉強すれば合格する」ようにはできていません。理由としては、高校側が中学の内申書を信じていないか、もしくは内申点と中学名から絶対的な学力を推定するノウハウがないか、または内申点の学校間格差を推定する行為が禁じられているからです。

入試のための学習は日本の学校ではできない

実際は違うのに、中学校の成績の差、たとえば「A中学のA評価は、B中学のB評価と同じ」というような「高校側の評価」をするようになると、義務教育であるA中学とB中学の差がバレてしまうので禁止ということです。とにかく、内申点だけでは合否判定ができないので、高校は独自の入試をやって学力判定をするのです。

もうひとつは、高校入試の目的は「選抜」であり、全員が100点になるような入試問題では選抜ができないので、理屈の上では中学のカリキュラムの範囲内で収まるようにしながら、「難問奇問」を出題するようになるということです。

こうした入試への対策の学習を行うには、基礎学力がある程度ないと効果がありません。ですが、中学までの義務教育では、習熟度別の固定的な学級編成は原則として禁じられており、多くの場合、導入される教科も限られています。

そのため、基本的には平均的な内容の授業を全員に対して行うことになります。泳げない子を足の立たないプールに入れては危ないので、400メートルの個人メドレーを秒単位で競うような子でも、90センチの水深のプールに入れる……みたいな話です。ということは、事実上は学校では入試学習はできないことになります。

ということで、高校側は独自の入試をやるし、その入試で合格点を取る方法は、学校では教えてもらえない、となるわけです。

そこで塾というものが社会的に不可欠になり、子どもを持つ親は「二重出費」を強いられます。いくら教育を無償化しても、最後にはこの塾の費用がバカにならず、親の家計を圧迫します。こうしてコスパ最悪の塾社会ができているわけです。

その結果として、少子化が加速することになるし、同時に塾などに費用がかけられる世帯だけが、偏差値の高い学校に子どもを送ることができるわけです。

それ以上に問題なのは、「時間のムダ」ということです。中学校では基礎しか学べない、受験勉強は塾でということになると、学校での教科の時間は意味がないことになります。

変化の激しい現代では、時間があれば英語やコンピューター、あるいは真の教養などをどんどん学んで経験することが求められています。にもかかわらず、学校と塾の両方に時間を割かなければならないというのは、コスパだけでなくタイパとしても最悪の制度だと言えます。