信長は“秀吉の報連相”に怒ったか

ただ、ここで重要なのは太田も、秀吉の行為を卑怯だとか臆病といった価値観では問題にしていないことだ。文中では「御届をも申し上げず、帰陣仕り候段、曲事の由」と書いてある。

これを現代語で意訳するなら「届も出さずに、勝手に帰ってきたのは、ルール違反である」という意味になるだろう。つまり太田が問題にしたのは、陣を引き払って帰ったことではなくて、届を出さずに黙って帰ってきたことなのである。

つまり「仕事をサボった」と怒られているのではない。「無断で欠勤した」ことを怒られているのだ。こう考えると、信長の怒りはシンプルである。現代なら「なんでLINEのひとつでいいから、連絡を入れないで休むの?」という感じだ。

豊臣秀吉像
重要文化財 狩野 光信《豊臣秀吉像》(部分)。慶長3年(1598)京都・高台寺蔵(写真=大阪市立美術館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

信長の怒りをまとめると、こんな感じだろう。

「いや、陣を引き払うのは理由があるならいいよ? でも、別に伝令でもなんでもいるだろ? なんで、連絡せずに勝手に帰るんだよ? お前、総大将でもないのに、そんなこと勝手に判断できるほど偉くなったのかよ? 調子に乗るなよ」

こう読み解くと、現代でも職場でよく起こっている問題だと気付かないだろうか。何かアクションを起こすときには報・連・相は基本中の基本である。特に上の世代ほど「なんで、事前に連絡してないんだよ!」と激怒する人は多い。

結果がうまくいったとしても、だ。

組織の機能低下を恐れたか

「お前は、俺に電話の一本もしなかった」

結果を出した部下に、上司がそう言い放つ光景は、令和の職場でも珍しくない。成果より先に、プロセスを問われる。内容より先に、手続きを問われるのだ。

しかしここで誤解してはいけない。信長の怒りは「俺に無断で動くとは舐めやがって」という自尊心の話ではない。組織の論理として考えれば、当然の話なのだ。

上の立場の者が「了承した」という形式がなければ、何かあった時にフォローができない。秀吉が勝手に帰った結果、もし戦況が悪化していたとして、信長は「知らなかった」では済まない立場だ。総大将として、すべての結果に責任を負う。その責任を負うためには、部下が何をしているかを把握していなければならない。

報・連・相の本質は「上司を安心させる儀式」ではない。「上司が責任を取れる状態を維持する」ための仕組みだ。

連絡がなければ、上は動けない。フォローもできない。いざという時に庇うこともできない。信長が激怒したのは、プライドの問題ではなく、これが組織として機能しなくなるという、極めて実務的な危機感からだったはずだ。

400年前も令和も、報・連・相が組織の根本原理である理由は、ここにある。