NHK「豊臣兄弟!」では、織田軍と上杉軍が激突する手取川の戦いで、秀吉が無断で離脱した姿が描かれている。史実では何があったのか。ルポライターの昼間たかしさんが、過去の文献などを基に、当時の陣営の実態に迫る――。

「手取川の戦い」秀吉の無断離脱は事実

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。第20回(5月24日)では、前回(5月17日)、手取川の戦いで無断離脱した秀吉(池松壮亮)が信長(小栗旬)によって、蟄居ちっきょの上で死罪を申し渡され、秀長(仲野太賀)らが、助命に奔走する流れとなる。ここで物語は松永久秀(竹中直人)の裏切りによって、秀吉がピンチをチャンスに変える逆転劇へと展開していくようだ。

江戸時代以降、多くの物語で知恵と才覚でチャンスをものにしてきたとされる秀吉。手取川の戦いをめぐる顛末も、そのキャラクターを示すエピソードの一つに数えられている。

しかし、史実はどうであったろうか?

そもそも、手取川の戦い自体がどれほどの規模であったかが明確ではない。上杉側の史料では、織田勢がいかに脆弱ぜいじゃくであったかを記したものが残っているが、そもそも戦いの規模はわからない。

とはいえ、戦いの規模は別として参陣していた秀吉が無断で離脱したことは事実のようだ。というのも「信長公記」では手取川の戦いについて言及していないにもかかわらず、秀吉の無断離脱にはちゃんと文字数を割いているからだ。

信長公記(陽明文庫所蔵)
信長公記(陽明文庫所蔵)(写真=ブレイズマン/PD-Japan/Wikimedia Commons

信長公記の作者が残した「迷惑申され候」

そもそも、一連の顛末は「柴田北国相働くの事」という短い節の中に収録されている。これは、1577年8月8日に柴田勝家を総大将として、秀吉のほか多くの武将が能登へ向かったことを記しているもの。全体の半分くらいは参陣した武将名で終わり、それに続いて次のように書かれている。

賀州へ乱入、添川、手取川打ち越え、小松村、本折村、阿多賀、富樫の所々焼き払ひ、在陣なり。羽柴筑前、御届をも申し上げず、帰陣仕り候段、曲事の由、御逆鱗なされ、迷惑申され候。(『戦国史料叢書』第2人物往来社、1965年)

つまり、一次資料である「信長公記」からわかる「手取川の戦い」は、柴田勝家を総大将にあっちこっちを焼き払った。そして、秀吉が黙って帰ったという事実だけである。そして、秀吉が無断離脱したことに対して信長が激怒したということだ。

これ、重要なのは「迷惑申され候」と記されていることである。作者の太田牛一は信長の側近として仕えた事務方の一人である。その人物が、めちゃくちゃ迷惑したことをわざわざ記しているのだ。ここからは、秀吉の無断離脱が信長も「はあ? なに勝手なことしてるんだよ‼」と激怒するものであり、周囲の事務方も信長が怒りまくるので迷惑したことが窺える。