卓球で自分の存在を証明

そんな佐藤さんは小2の時、4歳上の次女の影響で卓球を始めた。

「卓球の練習は、暖かい時期は自転車で通い、雪や雨の日は父の出前ついでに送ってもらう形でした。ただ、試合や大会を両親が応援にきたことは一度もありません。周りは母親が付き添うことが多かったですが、私の家は日曜が稼ぎ時でしたので、それは無理な話なのだと子どもながらに分かっていました」

ところがメキメキと腕を上げ、小6になる頃には全国大会に出場できるほどの実力になっていた。

「県内でベスト8に入ったのですが、どういうことかよくわかっていませんでした。でも次の日、朝の会で担任の先生が『佐藤が全国大会に出ることになったぞ!』と言うと、クラス中から拍手喝采を浴び、驚きました。その時初めて、自分の存在証明を見つけたような気がしたんです」

佐藤さんは練習量を増やし、生活のほとんどを卓球に費やした。中学でも何度か全国大会に行き、高校受験を迎えると、遠方にある卓球の強い私立高校にスポーツ推薦で行くことを決意。15歳で実家を出て、高校の提携先で下宿することになった。

入学後、佐藤さんはすぐにレギュラー選手に抜擢された。春の大会では団体で優勝。個人ではベスト16という結果だった。

卓球のサーブ前、集中している人の手元
写真=iStock.com/rai
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それでも両親は試合を観にこないばかりか、試合の結果を褒めてくれたこともなかった。

ただ、下宿しながら通学し、スポーツをやり続けるにはお金がかかるだろうと、高校入学時に父親は「好きなように使え」と、郵貯の通帳を手渡してくれた。

「通帳には、多額が入っていました。だから両親のためにも結果を出して、喜んでほしかったんです」

しかし、佐藤さんの高校生活は厳しいものだった。

心に壁を作ってしまった佐藤さんには、心を許せる友だちができなかった。勉強についていけず、授業がつらくなった。また、卓球の強い高校に入ったものの、自分と同じように真剣に取り組んでいるのは一部の部員だけのように感じられた。

「別の部員から、私の坊主頭と顔をネタに『オカマみたい』といじられるようになり、学校が嫌になりました」

そんな時、試合で足を捻挫した。病院でMRIを撮ってもらうと、膝の皿の裏側にある「タナ」と呼ばれる滑膜ひだ(膜)が、膝関節の動作中に骨に挟まれて炎症や痛みを引き起こす疾患、「タナ障害(膝滑膜ひだ障害)」だった。

全てが輝いて見える出会い

「タナ障害(膝滑膜ひだ障害)」と診断されてから佐藤さんは、授業は「リハビリに行く」と言ってサボり、部活は、全国大会への気持ちがある一方で、足に負担のかからない練習だけ参加するようになった。

同じ頃、自分が全く眠れなくなっていることに気づく。

「身体はひどく疲れているのに、眠気がこないんです。眠気がきても、卓球で全国に行くことばかり考えて寝付けませんでした。負けたくない。結果がほしい。褒めてほしい。認めてほしい。明日がくるのが怖い。そんなふうに考えるようになっていました」

捻挫が治ってからも、授業はサボりがち、部活は普通に参加する。そんな頃、教育実習生がやって来た。朝練に向かう途中で、佐藤さんのクラスにきた教育実習生Iに会い、話しかけられる。

Iは柔道経験があり、柔道部の練習を見に行くところだった。卓球部のT顧問から佐藤さんの評判を聞いていたという。ひとしきりT顧問や卓球の話に花が咲き終わると、Iは急に真剣な面持ちで言った。

「お前、学校楽しいか?」
「楽しくないですよ。こんなくだらないところ」

自然とそんな言葉が出てしまい、ハッとした佐藤さんは、慌てて話題を変えた。佐藤さんはIに本音で話している自分に気付いた。Iに恋をしたことを自覚した瞬間だった。

以降、佐藤さんは授業をサボらなくなった。

「学校が楽しくなりました。I先生に会えるというだけで、全てが輝いて見えました。先生のために頑張ろうと思えました。頑張れば結果が出せて、両親も喜んでくれると思えました」