息子・長政を敵視する「完全に悪役」

そして、この調子は最後まで変わらない。基本コンセプトは「久政を落として、長政を持ち上げる」の一点突破である。

たとえば長政の少年時代についての記述。長政は10歳に満たない頃から礼儀正しく、家臣からの信頼も篤かった……と褒めちぎられる。ところが、これが久政には面白くない。我が子の人気が高まるのを嫉妬したのか、長政を寺に預けてしまった、というのだ。

実の息子をライバル視する、了見の狭い親父。完全に悪役の書き方である。

さらに六角氏との関係強化を図った久政は、長政に六角氏の重臣・平井加賀守の娘を嫁に貰うよう命じる。この娘は絶世の美女だったというが、長政は面白くない。家臣たちも不平を募らせる。そしてついに久政が「平井と親子の契りを結べ」とまで命じたことで、長政の堪忍袋の緒が切れた。嫁を実家に送り返し、家臣たちと共に久政に反旗を翻した、というのが『浅井三代記』の筋書きである。

『浅井三代記』は軍記物、すなわち後代にあることないことを加えた創作部分も多いのだが、なぜかこれが史実かのように見られてきた。しかし、こうした旧来からの見方は、小和田哲男『近江浅井氏の研究』(清文堂、2005年)以降、大きく変わってきている。

この本で、小和田は当時の北近江を独立しながらも六角氏の統制下にあった「六角氏保護国」としている。ようは、浅井氏の支配体制は国人の集合体である。わずかな村を治める能力があり、個人的には武勇が高く独立心も旺盛だが所詮は烏合の衆である。

小谷城の大広間(千畳敷)と本丸跡
小谷城の大広間(千畳敷)と本丸跡(写真=ブレイズマン/Wikimedia Commons) 

脆さを自覚した久政、安全装置を壊した長政

平たく言えばこういうことだ。浅井家というのは、北近江の地侍たちの「町内会連合」のようなものである。各地侍が自分の村の祭りを仕切り、自分の家来を養い、自分の田畑を守る。そういう「うちの地区はうちで守る」という独立心の強い親父たちが、なんとなく浅井家を盟主として担いでいる、というのが実態だった。

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の時代考証を担当した太田浩司『戦国大名浅井氏と家臣団の動向』(サンライズ出版、2025年)では、こうした社会構造がさらに深く掘り下げられている。

この研究では、浅井氏の当主と重臣たちは、組織として編成されていたのではなく「個々の繋がり」で結ばれていただけ。家臣は相対的に自立しており、「地域的一揆体制」を維持していたことが指摘されている。

つまり、これらを総合すると「うちの馬鹿親父の命令なんか聞いてられるか! いつまでも六角の風下には立たないぜ!!」と美人な嫁を送り返してしまう長政は、自爆テロみたいなものである。

なにしろ、浅井家は組織として弱い。家臣は自立心の塊で、いつでも当主を突き上げる用意がある。そんな組織で、唯一の安全装置だったのが「強い相手には頭を下げる」という久政の戦略だった。

六角に従っている限り、家臣たちが暴走しても六角の威光で抑えられる。朝倉という保険もある。「自分たちの脆さ」を、外部の権威を借りることで補っていたのである。

ところが長政のクーデターは、この安全装置を全部ぶっ壊した。