作戦その2「超宗派型棒読み読経」
あいさつもそこそこに私は鈴を2回打ち、読経を開始した。ただ、昨晩しっかり練習した臨済宗風の読み方は捨て去り、どこの宗派かわからないような“超宗派型棒読み読経”で、観音経を読誦した。観音経は臨済宗でも読まれるが、ほかの複数の宗派で常用する。他宗の僧侶役を演じる際にじつに頼りになる経なのである。
そうしているうちに隣の墓前でも法要が始まり、読経の音が聞こえてくる。これは確かにホンモノの臨済宗のベテラン僧侶だなとわかるのは、やはり私がホンモノのニセ僧侶だからかもしれない。
隣の様子を見ながら、声を抑え気味にした読経を終える。
「お隣さんにも配慮し、声は小さく抑えました」
藤井家のみなさんに白々しい言い訳をしながら、法話につなげる。
法話の内容も当たりさわりがないこと(※9)がボロを出さない秘訣だ。
横目で隣を見ると、ホンモノ臨済宗僧侶は読経中で、当然こちらに関心を示していない(※10)。私は施主の藤井さんから、布施袋を受け取り、静かに墓前を立ち去った。
歩きながら初夏の陽気のせいとばかりはいえない汗が、背中をじっとりと濡らしていることに気づいた。
※9 法話の内容も当たりさわりがないこと
「三回忌というと亡くなられてから丸2年が経過した節目となります。こうして2年の月日を経ると、悲しみの中にも少しずつ穏やかな思いが芽生え、故人のことを懐かしく、あたたかく語り合えるようになってきたのではないでしょうか。仏教には諸行無常という言葉があります。すべてのものは常ならず、絶えず移り変わっていく。この2年という時の流れもまた無常のあらわれであります。そして、その移ろいの中で、私たちの心もまた変わり、深まり、育まれていきます」
※10 関心を示していない
もしかするとニセ坊主に気づきながらも見て見ぬふりの“仏のこころ”だったのかもしれない。


