「豊臣兄弟!」が描く「異説」

『浅井三代記』と『織田軍記』には、信長は長政を助命したいと念願していたとの逸話が記されています。しかし、先述したように、両書は史料的価値が高くはなく、この逸話は本当にあったこととは思われません。「豊臣兄弟!」でも信長は長政を助けようとしまし、長政がそれを拒む展開になりましたが、その話は『浅井三代記』や『織田軍記』などを参考にしたのでしょう。

筆者は、信長が長政を何としても助けたいと感じたことはないと考えています。信長がそれほどまでに長政の命を救いたいと考えていたならば、翌年(1574)正月、長政の首(頭蓋骨)を漆で固め金泥で彩色して、酒宴の余興として出すというようなことをしたでしょうか(『信長公記』)。

酒席のイメージ
写真=iStock.com/gyro
※写真はイメージです

長政らのドクロを酒の余興にした

信長は、浅井久政・長政親子、朝倉義景の首を薄濃はくのう(漆で固めて彩色すること)にしたというのです。そして、酒宴の席で披露し、家臣らと共に敵将3人の髑髏どくろを前にして、歌い舞ったのでした。

また信長は長政の嫡男(『信長公記』には10歳と記されています。長政嫡男は万福丸とされますが、同書には名は記されていません)を探し出して、関ヶ原ではりつけとしています。『信長公記』には、長政の嫡男を処刑したことによって、信長は長政への「年来の御無念を散ぜられ」たとあります。長政への長年の遺恨を晴らしたというのです。

「豊臣兄弟!」では、信長が長政を実の弟のように思っていたかのごとく描かれ、長政を助命せんとしますが、実際にはそうしたことはなく、信長は長政にすさまじい怒りを抱いていたのでした。

参考文献
・円地文子監修『人物日本の女性史 第4巻』(集英社、1977年)。
・桑田忠親『桑田忠親著作集 第7巻』(秋田書店、1979年)。
・桐野作人『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』(KADOKAWA、2014年)

【関連記事】
サルでもハゲネズミでもない…外見にコンプレックスを抱える秀吉が信長に付けられた「もう一つの呼び名」
仕事のデキない人ほどこの髪形をしている…相手から全く信頼されない「ビジネスで一発アウト」ヘアスタイル3選【2025年9月BEST】
「秀吉と一緒になるのがイヤ」ではない…お市の方が柴田勝家との自害を選んだ"現代人には理解できない"理由
石田三成と戦っていないのに関ヶ原合戦後に大出世…徳川家康が厚い信頼を置いた「戦国最大の悪人」
私には明瞭にモノを言うが、他人には曖昧な言葉を使う…昭和天皇が「総理大臣にしてはならぬ」と語った政治家【2025年9月BEST】