金融機関同士の合併に奔走

「リーマンショックの余波が残っていたので就職活動は厳しかったです。ゼミの同期の半分ぐらいは就職浪人をしました」

いろいろな業界に関わりたいという志向がある沢田さん。物腰が柔らかく、接客業にも向きそうな雰囲気をしている。金融機関とインフラ企業を中心に就職活動をし、第一志望の会社から内定を得た。ある分野で圧倒的な存在感を誇る金融機関である。

「100兆円ぐらいの資金を海外で運用するような部門もあれば、現場の支店を経営指導したり企画を立てて実行したりするような部門もあります。私は現場のほうに回してもらえました」

初めての赴任地では、「金融機関同士の合併業務」という難度の高い仕事が待っていた。他に人がいないという理由で新人にして担当者になった沢田さんは「常に100個ぐらいあるタスクを『ヤバい順』につぶしていく」という毎日に突入した。

「20年前の不良債権が出てきたりして、裁判所にも通いながら処理していきました。前例踏襲が基本の金融機関なのに、本店に問い合わせても前例が見つからないケースばかりなんです。頼れる上司もいましたが、『まずはお前が自分で考えてやってみろ』と言われていました。今から振り返ると、あの3年間が私の糧になっています」

お前らの高い給料を削ればいいだろう

地方での活躍を認められたのか、次の3年間は東京の本店営業部で働くことができた。

「営業系では本店が偉いわけではない」と沢田さんは解説するが、有能でない人に「最低ロットが1億円」という企業融資の業務は任せられない。沢田さんは幹部候補の1人だったのだろう。この時期に沢田さんは結婚。今も共働きの奥さんと一緒に娘を育てている。

次の3年間はまた地方の現場だった。沢田さんが所属していた金融機関はやや複雑な成り立ちをしており、エリア全体の営業方針を決めたりリスクを管理したりする司令塔に様々な母体からの出向者がいた。

「地元出身の人がほとんどで、私のような全国転勤者は1割程度です。いろんな派閥があって、人間関係の勉強になりました(笑)。当時は金融機関への規制が強化されていった時期です。ひとつ間違えると経営が怪しくなるという緊張感があり、職場の雰囲気はギスギスしていましたね。地元出身の人から『資本が足りない? お前らの高い給料を削ればいいだろう』と言われたこともあります」

修羅場をくぐりながらも愛社精神が揺らいだことはなかったと沢田さんは振り返る。日本にとって大事な金融機関だという信念があり、だからこそ古くなったビジネスモデルを根本から変えないと立ち行かなくなってしまうと危機感が募った。

「中枢にいる人たちはもちろん優秀です。でも、上から降りてくる課題をこなすのに精一杯。古民家に例えると、私なんかは思いつかないようなすごいロジックと精度で外壁を塗り直しています。家が崩れそうなので、本当は今すぐにでも基礎工事をやり直すべきなのですが……」

社内公募でスタートアップを支援する関連会社へ

社風だけが問題なのではない。金融機関には法律のしばりもあり、本体でやれる業務範囲には制限がある。その会社にも人はいて、グループ会社から出資を募って子会社ですらない関連会社を設立。小回りの利く30人ほどの規模で、フィンテックなどのスタートアップ企業との協業を通して、新しいビジネスを模索したり外部からの刺激による人材育成を図っていた。30代になったばかりの沢田さんは社内公募で手を挙げて、その組織に飛び込んだ。

「本体は典型的な年功序列だったので、36歳ぐらいで管理職になることは見えていました。その前に、ビットコインやDXなどの新しい分野を学べる経験がしたいと思ったんです」

資金と人材の両面でスタートアップ企業を支援することが主な業務だったが、実際には与えられたもののほうが大きかったようだ。特に、30代前半の自分よりも若い経営者が多いことに沢田さんは衝撃を受けた。

「極めて合理的にビジネスにまい進している人もいれば、やりたいことへの熱量がすごくて寝る時間を削っている人もいました。私が勤務しているような大企業にも優秀な人はたくさんいます。でも、それだけに4、5割の力を出すだけでなんとかなってしまうんです。もっと頑張ろうとすると、上から『余計なことはやるな』と潰されてしまったり……。もったいないと思いました」

沢田さん自身は悔いのないような働き方をしてきたつもりだ。年功序列は受け入れるが、上司や本店が言うことに安直には従わない。むしろ、現場にいる自分のほうが正確な情報を持っているはずだと、言うべきことは言って上司とぶつかったことも数えきれない。それが会社と顧客のためだと信じてきた。大企業のサラリーマンだって空気を読み過ぎずに100%の力を出していいのだ、と。スタートアップ企業との交流で、そんな気持ちをさらに強くした。

「スタートアップに留学するプログラムも作り、勤務先から合計20人ぐらいは送り込みました。若い人も年配の人もいますが、みんな考え方がすごく変わって戻ってくることは共通しています」