歴史から紐解く異常な市場価値

■明治27年、クマ1頭で百余圓

明治27(1894)年10月29日朝、富山県中新川郡早月加積村(現滑川市)に大グマが現れ、村人や滑川署の巡査らに槍で抉られて果て値段は百余圓とされた。(「読売新聞」)クマ1頭で米38俵に相当した。明治30(1897)年頃の小学校の教師や巡査の初任給は89円、大工や職人は20円だった。

■大正12年 クマ3頭で600圓

大正12(1923)年4月12日、秋田県の鳥海山麓で殺獲した20貫(約75キログラム)のクマ1頭と10貫(約38キログラム)のクマが2頭の計3頭で600圓になる、とある。(「秋田魁新報」)

あらかじめ目星をつけておいた穴に母子3頭のクマが越冬していたらしく、効率よく一網打尽にしていた。これは米50俵の値段に相当した。大正10(1921)年の豊作で米価が下落しており、それが影響したようだ。

合法という名で行われた大量捕獲の実態

■昭和23年 1頭で10万圓米48俵

昭和23(1948)年4月21日付けの「岐阜タイムス」(岐阜新聞)に富山県でのクマ狩りの記事と、残雪上を2人の猟師がクマを引いている写真が載っている。記事の最後に、「三十貫の大クマ、一頭、十万圓と言われる」とあり、じつに48俵に相当した!

製薬が盛んな富山県で殺獲されたクマは他県のクマより割高で取引されており、北陸のクマは最高級品、秋田県阿仁地方のクマはブランド品だった。翌日の同紙の紙面には「食料楽観は禁物――増配も国民の誠意次第」というタイトルが見える。農民に生産物の供出を督励し、等しく飢えた国民に誠意という道徳を押しつけて、地方への買出しを断念させる政府発表だ。

クマは高価であったために1990年代初頭まで、養蜂家を装った「クマ捕獲業者」もいた。養蜂家の団体の機関誌には、養蜂技術ではなく、クマの捕獲方法を詳報している。

養蜂家の団体紙に載ったクマの捕獲法。蜂場の全周をトタン板で囲い、1カ所を開けて捕獲檻を設置するように薦めている
養蜂家の団体紙に載ったクマの捕獲法。蜂場の全周をトタン板で囲い、1カ所を開けて捕獲檻を設置するように薦めている
檻を設置するところ
檻を設置するところ[出所=『家に帰ったらクマがいた』(PHP新書)]

この報告者はある県の養蜂団体の幹部である。彼はつねに自分の蜂場の全周60メートルほどを高さ2メートルの厚いトタン板で囲い、1カ所だけ開け、そこに鉄製のクマ捕獲檻を置き、ハチミツの臭いを嗅ぎつけたクマを全部捕獲していた。

あくまでも当時、この方法は合法である。設置者は「経費が50万円もかかった」と発言するに及び、私は各方面に、このような方法はやめるべきだと働きかけたところ、短期間で全国的に是正された。

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