夜学で写真を学ぶ

2025年10月1日午後、映画カメラマンの堀田泰寛さんから指定された東京・杉並の喫茶店に向かう。定時少し前に着いたが、近くにお住まいとのことですでに奥様と一緒に着席していた。ネットで顔写真を確認しており、たっぷり蓄えた口ひげとあごひげから一目でご本人と分かる。

アポ入れの際のやりとりで、しっかりと話を聞きたいことに加え、写真や関連資料があったら拝見したいと伝えていた。堀田さんからは「取材趣旨に沿う、生々しい話ができるかどうかは、分かりませんが精一杯やってみます。シーラカンスに関する資料、写真も含めて多少はあります」との返信をもらっていた。

名刺交換を済ませた後、堀田さんが持参した資料を確認する。その中には、シーラカンスに関する書籍や堀田さんが寄稿した雑誌などが入っていた。さらに沼津港深海水族館が持っているのとは別の学術調査隊による冊子もあった。1984年1月に出発したシーラカンス学術調査隊の第2次隊についていまだ「計画」として記されているから、沼津のものよりも古い。

また資料には、1984年1月に調査隊とシーラカンス解剖解析委員会が開いた「第1回シーラカンス調査・研究シンポジウム予稿集」というものがあった。

第1、2次隊の調査概要や現地漁師による捕獲方法に加え、解剖とCT撮影の記録などが載っている。特に予稿集は、調査隊のコモロでの活動を知るうえで大いに役立つ。非常にありがたい。

コモロ諸島 アンジュアン島
コモロ諸島 アンジュアン島(写真=Haryamouji/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

脳にも焼き付いている44年前の記憶

インタビュー内容に入る前に、堀田さんの経歴を先ほどよりも詳しく記しておく。1939年(昭和14)8月に、当時は日本領だった平壌に生まれた。敗戦にともない6歳で引き揚げた後、静岡県立沼津工業高校で学ぶ。

卒業してからは東京都の公務員になり、工業高校の機械実習を指導するなどした。ほどなく仕事をしながら、夜学部専門の国立の千葉大学工業短期大学部写真学科に通い始めた。

同大修了と同時に科学映画のパイオニアだった日映科学映画製作所(「オール」に社名変更した後、2023年に解散)に入社。24歳からカメラマンへの道を目指し、5年の在籍を経て、フリーに転身する。黒木和雄監督の映画『日本の悪霊』(1970年製作)で、映画カメラマンになった。

2025年10月時点で86歳だったが、とてもお元気で、メール通りに「精一杯」話してくださった。そしてコモロ諸島に向かった44年前の記憶が鮮明だったことに僕は驚かされた。特にカメラのファインダー越しに目にした光景の描写が生き生きとしている。

自ら写してきたフィルムのコマが、脳にも焼き付いているかのようだ。それを引っ張り出すから、長い年月を経ていたとしても、全く色あせていない。まさにカメラマンの語りだ。聞いているうちに、堀田さんの世界に引きずりこまれる。