女性天皇も女系天皇も認められていた

しかもわが国の「歴史と伝統」を振り返ると、前近代では女性天皇を排除するルールはなかった。

飛鳥・奈良時代に女性天皇が6人(8代)おられたことはよく知られている。平安時代にも女性天皇の即位が取りざたされた事例があり(八条院)、その後、武家の権力が伸長してからも、江戸時代には2代の実例があった。

より注意すべきなのは、「形式的には明治初期まで国家体制を規定する法典であり続けた」(『日本史広辞典』)とされる養老令には、「女帝の子」について男性天皇の子と同じように「親王(内親王)」とする規定がわざわざ設けられていたことだ(継嗣令)。

これは、単に女帝=女性天皇を法的に公認するだけでなく、そのご結婚を前提として、お子さまの位置づけは、父親の男性皇族の血筋=男系ではなく(その場合なら1ランク下の王・女王とされる)、母親の女性天皇の血筋=女系に属すると法定されていたことを意味する。だから、女性天皇だけでなく、女系天皇も認められていたと理解できる(先行する大宝令にも同じ規定があった)。

これは古代中国の律令にはない制度であって、その父系制=男系主義の影響を受けながらも、皇室の祖先神を“女性”の天照大神とする事実に象徴される、男系だけでなく女系にも血統上の意味を認める双系(双方)的な、中国とは異なるわが国固有の伝統によるものだった。

歴史上前例がない、今の「男系男子限定」ルール

明治の皇室典範の制定にあたっても、複数の草案では女性天皇も女系天皇も認めるルールが含まれていた。にもかかわらず最終的に男系男子限定ルールが採用された理由は、当時の「男尊女卑」の風潮が大きく作用したのとともに、古代以来の側室制度という安定化の仕組みがあったためだった。

したがって、一夫一婦制で男系男子限定という今の皇室典範のルールは、まったく前例がない。「歴史と伝統」とは無縁な被占領下の日本で“新しく”制定された欠陥ルールと言うほかない。

皇位継承の安定化と皇室の存続を望むならば、このルールを改めるしかないのは明らかだ。

ところが政府や与党などは、欠陥ルールによって規定された現在の皇位継承順序を、「ゆるがせ(忽せ)にしてはならない」などと主張している。しかしルールの欠陥を解消すれば、結果として欠陥ルールに基づく皇位継承順序が変更されるのは当たり前だ。逆に継承順序を固定化したままでは、欠陥自体が解消できなくなる。

危機を招いている欠陥を固定化して、皇室の存続を危うくするのは本末転倒だ。