逆に、なぜ日本人は列に並べるのか

逆に言えば、なぜ日本人は並べるのでしょうか。社会心理学者で北海道大学名誉教授の山岸俊男氏の研究は、これを「制度的信頼」の差であると説明します。

私たちが並ぶのは、隣の人を愛しているからではありません。「電車は必ず来るし、全員乗れる」という資源の安定性。「割り込んだら駅員や周囲に注意される」という周囲の目。この2つがあるからです。これを「安心社会」と呼びます。

私たちは「並んでも損をしない」という特権的な環境にいるからこそ、余裕を持って並べるのです。もし明日、日本が大災害に見舞われ、水が100人に1人分しか行き渡らない状況になったら、私たちもまた、生き残るために「列を乱す側」に回るかもしれません。

サバイバル戦略とは、環境によってスイッチが切り替わるものなのです。

悪意ではなく、「過剰な防衛反応」

厄介なのは、国が豊かになり、環境が改善されても一度刻まれた「生存のルール」はすぐには消えないという点です。これを「集団的トラウマ」と呼びます。

海外の研究では、戦争や独裁政権下の恐怖、あるいは深刻な貧困の記憶は、文化的な遺伝子として継承されます。「システムは信用するな」「隙を見せたら奪われる」「ルールを馬鹿正直に守る奴は馬鹿を見る」。親たちは愛する子を生き延びさせるために、こうした「戦場の知恵」を家庭教育の中で徹底的に教え込みます。祖父母の記憶が、孫の行動を決めるのです。

その結果、平和な日本に来てからも、彼らの脳内ではまだ「見えない椅子取りゲーム」が続いてしまいます。電車のドアが開いた瞬間、彼らの脳の扁桃体は「今すぐ確保せよ!」と警報を鳴らします。それは悪意ではなく、過去の亡霊に対する過剰な防衛反応に近いでしょう。

異文化の人々の行動、あるいは日本国内でも見られる「買い占め」などのパニック行動を目にしたとき、私たちは反射的に怒りや軽蔑を感じます。

それは自然な反応です。しかし、そこで思考を止めず、もう一歩だけ踏み込んでみてください。

「なぜ、彼らはこれほどまでに焦っているのだろうか?」
「彼らの背後には、どのような『奪い合いの歴史』があるのだろうか?」

そう問いかけることは、彼らの迷惑行為を肯定することではありません。毅然と対応することこそ、私たちの回復につながるのです。

しかしここでは、それとは違う視点として、私たち自身が「信頼のある社会」に生きていることの奇跡を噛み締め、分断ではなく対話の糸口を探るための、知的な成熟への第一歩を踏み出すことが、私たちの回復につながると確信しています。