放浪、失敗、妻に支えられ…まるで八雲

セツと一雄は“シズとの恋愛”を認めず、清は一時、勘当状態になっていた。

だが、この時の清は肺を病んでおり、看病し生活を支えたのはシズであった。回復してからも音楽と絵以外にはなにも興味を持たず、才能も乏しかった。子供ができてからも映画館のヴァイオリン弾きで生計を立てたり、商売を始めては失敗して夜逃げすることもあった。

ただ、そうした苦しい生活を続けながらも、シズとの絆は深かった。その姿をみて、反対していたセツや一雄も態度を改めたということだろうか。

結局、清はセツの死後に得た遺産で、ビリヤード場に自宅とアトリエを兼ねた物件を手に入れ、ようやく生活は落ち着いた。

こうやって書くと、文豪を父に持ち、母の死後はその遺産で家まで手に入れて「画家でござい」と自称しているだけに見えるかもしれない。しかし、清は無能ではなかった。戦後、画壇に登場した清は一躍名を知られるようになった。死去した際には志賀直哉や武者小路実篤までもが文章を寄せているあたり、実力は広く認められたものだった。

要は、八雲の性質を受け継ぎすぎていたのである。放浪し、失敗し、夜逃げまでしながら、それでもシズという女性が傍にいた。ビリヤード場で稼ぐ妻に支えられて絵を描き続けた男。考えてみれば、セツに支えられて書き続けた八雲と、やっていることはまったく同じである。この夫婦の息子は、才能の受け継ぎ方まで律儀なのだ。

パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)
パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)(写真=Frederick Gutekunst/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

癒えない「母なるもの」への渇望

そんな清は1962年に、前年に死去したシズの後を追って、自らその生涯を終えている。その死に際しては、子供たちに財産なども記した丁寧な遺書を遺した。

シズに尽くされ、シズを追った。遺書に子供たちへの配慮を忘れなかった。放浪者でありながら、最後の最後で八雲と同じことをしている。家族のために、自分にできることを残そうとしたのだ。

こうして三兄弟の人生を並べてみると、不思議な構図が浮かび上がる。巌は祖父チャールズの衝動を、清は父八雲の放浪を、それぞれ受け継いだ。では、すべてを背負い、すべてを書き残した一雄は、何を受け継いだのか。

ここで、もう一度、八雲の母ローザのことを思い出してほしい。

ギリシャ人であったローザは、父・チャールズとの結婚後、異郷のダブリンへ連れて行かれた。しかし、父は母を庇護するでもなく実家に置き去りにするように預けて、次の赴任地へと去っていった。馴れない気候と異邦人に冷淡なチャールズの一族の中に一人置かれたローザは精神を病んだ。しかし、チャールズは妻を守ることなく、叩き出すように離婚。こうして、ローザは幼い八雲と引き離されてギリシャへと帰った。

そして、八雲は生涯、母に会えなかった。母に捨てられた少年は、大人になっても「母なるもの」への渇望を抱え続けた。そして日本でセツに出会い、あれだけ溺愛した。全財産を譲ると遺言に書いた。「金々々!」と叫びながらも、それは自分のためではなく「ただ妻と子供のため」であった。

これは単なる夫婦愛だったのだろうか。ローザに捨てられた男が、生涯かけて「母なるもの」に自分のすべてを捧げた。八雲のセツへの献身は、そういう行為だったのではないか。