「経済階級格差」が固定化されつつある
子どもの数も経済階級によって決定されます。
家計調査より、二人以上勤労世帯の年収別の世帯数と子どもの数(18歳未満)を2013年と2023年とで比較したものが以下のグラフ(図表3)です。
700万円以上の世帯では維持、あるいは増加すら見られる一方で、それ未満ではすべて減少し、低所得層ほど減少幅は大きくなっています。300万円未満では46%減、300万~500万でも3割減です。
これこそが、経済階級上位は結婚ができ、子どもも持てる反面、中間層以下だけが婚姻減・出生減している現実の姿です。いいかえれば、お金がなければ結婚もできないし、子どもを持つこともできなくなった「結婚と出産の経済階級格差」が固定化されつつあるということです。
皮肉にも、それは政府の長年の少子化対策が子育て支援一辺倒でやってきた副作用として表出したと言わざるを得ません。児童手当や保育サービスなど、いわば「子どもを持った後」の支援は拡充されてきましたが、一方で「これから結婚し、子どもを持つ層」に対する支援は相対的に手薄なままでした。
私は、講演などで今までの少子化対策のこの深刻な副作用を「大河の逆説」として説明しています。
少子化対策の「深刻な副作用」
たとえば、独身子無しの岸と既婚子有りの岸があったとします。その真ん中に大河があります。誰もが最初は独身の岸にいますが、結婚して子を持つにはその大河を渡って向こう岸の既婚の岸に行く必要があります。
政府は対岸から拡声器を使って「おーい、こっちまで来たらお金がもらえるぞ、こんなにお得なサービスがあるぞ」と言い、予算をかけた充実したサービスを用意して待っています。これが政府の少子化対策です。
さて、独身の岸にいる者は大河を渡らなければなりません。力のある者(経済力ある者)は難なくその大河を泳いで渡れるでしょう。しかし、その力なき独身はどうすればいいでしょう。力ある者が渡河するのを見て、無謀にも自分も飛び込む者もいるかもしれません。ところが、泳げない者が水の中に入った末路は溺れてしまうだけです。
かくして、渡河する力ある者だけが対岸に渡り、渡河後(結婚後)至れり尽くせりのサービスを享受できる一方で、行きたくても行けない不本意未婚は呆然と立ち尽くすことになるのです。

