浅井長政の嫡男はお市が産んだか
しかし、この少年の母についてはお市ではなく、別の女性と考えられています。万福丸は小谷城の落城後、城を脱出し、越前国に逃れていたとの説もありますが、信長方の追跡にあいます。そしてついに捕まってしまうのです。捕縛後、万福丸は近江国の木之本に連行。そこで万福丸の身柄を預かったのが『浅井三代記』によると秀吉でした。信長は秀吉に万福丸を串刺しにして処刑せよと命じ、秀吉はそれを実行。万福丸はその短い生涯を閉じたのです。
『信長公記』にも長政の10歳になる嫡男が探索・捕縛され、関ヶ原にて磔にされたことが載っていますが、万福丸との名も、秀吉が処刑したとも書かれていません。史料の信用度から言えば『浅井三代記』よりも『信長公記』の方が上であり、長政嫡男の処刑は秀吉が行ったかは分かりません。
これまたドラマでは、万福丸を処刑したことについて信長に怒りをぶつけるお市の姿が描かれることもありますが、実際には、お市は万福丸の処刑を哀れとは思いつつも、信長に怒りをぶつけることはなかったのではないかと思われます(万福丸はわが子ではなかったのですから)。
北ノ庄城が落ちるとき三姉妹を…
お市の次女(常高院)に仕えた女房の覚書『渓心院文』には、お市が再嫁した柴田勝家の北ノ庄城が秀吉軍により包囲された際、お市は秀吉に書状を書き、娘3人を託したとあります。お市は信長から厚く信頼されていた秀吉ならば姫(娘)たちを粗略に扱うことはないと考えたようです。
姫たちが城から出る時、お市も見送りに出ますが、その容貌は22、23歳に見えたとのこと。それはさておき、前述の『渓心院文』の記述を踏まえると、お市は秀吉に大きな悪感情を抱いていなかったと推測されます。
秀吉がお市に恋慕していたか否かですが、前掲の『祖父物語』には、秀吉は天下一の美女・お市を妻にしたかったと記載されています。これについては後世の創作とする説が有力です。
参考文献
・円地文子監修『人物日本の女性史 第4巻』(集英社、1977年)
・桑田忠親『桑田忠親著作集 第7巻』(秋田書店、1979年)
・桐野作人『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』(KADOKAWA、2014年)


