「戦国一の美女」だった?
さて、お市と言えば絶世の美女との印象が濃いと思います。高野山持明院所蔵のお市の方像(お市の7回忌の頃に描かれ奉納されたと伝わる)は「人形のように美しい」と評されることもあります。また逸話集『祖父物語』(尾張国清須朝日村の柿屋喜左衛門が祖父の見聞談を書き留めた聞書。江戸中期の成立か)には「天下一の美人の聞こえありければ」と記述されています。そんなお市の人生の転機の1つは、やはり北近江の浅井長政に嫁いだことでしょう。
お市が長政に嫁いだ年についても諸説あり、一定していません。永禄7年(1564)や永禄10年(1567)、永禄11年(1568)など、さまざまあるのです(永禄2年や6年との説もあります)。信長は永禄11年(1568)に美濃国の斎藤龍興を追い、稲葉山城を手中にするが、それまでに織田家と浅井家との間に縁談が起こりかけていたと言います。
ところが浅井氏が乗り気でなく、そのまま立ち消えになっていたのが、信長が美濃を手中にすると浅井氏が織田氏に誼を通じてきて、縁談成立となったとの見解があります。
お市の結婚は信長の美濃平定後か
お市はいつ長政に嫁いだのか? 筆者は信長が美濃斎藤氏を下した永禄11年(1568)頃と推定しています。尾張国(愛知県)にいるお市が近江国(滋賀県)の浅井氏に嫁ぐには、美濃国(岐阜県)を通らなければなりません。永禄2年(1559)や永禄6年(1563)、永禄7年(1564)はまだ美濃は斎藤氏が有しており、敵地。その敵地を通り、お市が輿入れするのは難しいでしょう。
またお市を妻として迎える浅井氏にしても、信長が美濃国を平定するほどの実力者でなければ、織田家と縁戚になる意味がありません。よって筆者は、お市は兄・信長が美濃斎藤氏を打倒してから嫁いだと考えるのです。
有名な「小豆袋」のエピソード
長政に嫁いだ後のお市の逸話として最も有名なものは、やはり「小豆袋」の逸話でしょう。元亀元年(1570)、信長は越前国の朝倉氏を攻撃し、金ヶ崎城(福井県敦賀市)などを攻略するのですが、その時、近江の浅井長政が裏切ったとの急報が入ります。『信長公記』(信長の家臣・太田牛一が著した信長の一代記)には「方々より」長政が信長を裏切ったことは「事実」とする注進があったと記されています。


