敵方の朝倉家史料に残る記録

一方、『朝倉家記』(越前の大名・朝倉氏の興亡を記した軍記物語『朝倉始末記』の異本の1つ)には、お市も信長に夫・長政の裏切りを急報したとあります。しかもそれは普通に「夫の長政が裏切りました」と使者を遣わし伝えた訳ではなく「陣中のお菓子としてください」といって、袋に入った小豆を信長に届けたのでした。小豆が入った袋は両端が縄で縛り付けられていました。これを見た鋭敏な信長は、浅井が謀反を起こし、朝倉と共に自軍を挟撃せんとする策ありと見做し兵を退くのでした。

『朝倉家記』に載るこの「小豆袋の逸話」は後世の創作として片づけられていることが大半です。確かに後世の創作の可能性が高いのですが、その一方でこの逸話が敵方の記録『朝倉家記』に記述されていることから信憑性ありとの見解もあります。またたとえ、この逸話が後世の創作だったとしても、当時の(政略結婚により嫁いだ)大名家の妻が置かれた状況をよく表しているのではないかともされています。

浅井長政像(部分)、17世紀、高野山持明院所蔵
浅井長政像(部分)、17世紀、高野山持明院所蔵(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

政略結婚した女はスパイだった

「婚家よりも実家が大切」との価値観が戦国時代の女性にはあるとされ、お市もそれに則り行動したと思われるのです。ただの「人形」「飾り物」では、『朝倉家記』に記載されたような行動を取ることはできなかったでしょう。お市やそれに付き添う侍女たちも浅井家の動静を探っていたと推測されます(お市は長政の妻ですので、上層部の動静を掴める立場にありました)。要は間者(スパイ)と一緒です。

政略結婚というと暗いイメージにおおわれてしまいますが、当時の女性たちはわれわれのそうした「常識」(イメージ)をくつがえすように、もっとたくましく、したたかに生き抜いていたのではないでしょうか。

秀吉とお市は仲が良かった?

「豊臣兄弟!」においては、信長とお市はとても仲が良い。信長はお市のみに心を開いているようにも見えます。信長とお市は本当に仲が良かったのか。それを示す一次史料はありませんが、先ほど紹介した「小豆袋の逸話」や「婚家よりも実家が大切」との当時の価値観を踏まえるならば、信長とお市の結び付きは強かったのではないでしょうか。

さて、お市と秀吉との関係についてですが、ドラマでよく描かれるように、お市が秀吉を嫌っていたことを示すような一次史料はありません。浅井長政には万福丸という年少の嫡男がおりましたが、ドラマなどにおいてはこの子はお市との間に生まれたと描かれることがあります。