「話しかけに行くのはみっともない」熊本の気風

九州人は元来粗野で非社交的である。ことに熊本人はそれが甚だしいので自ら求めて教師に個人的な接近をはかるというようなことは一つの恥辱とさえ考えている。この風習は今日でも残っているのであって、松江人の温敬的な社交的な性質とは正反対である。

さすが熊本県出身の丸山だけあって、身内への評価が容赦ない。

要するに、八雲が「よそよそしい」と感じた熊本の学生たちは、別に八雲を嫌っていたわけでも、授業に不満があったわけでもなかった。ただ、「先生に自分から話しかけに行く」という行為そのものが、熊本の気風においては「みっともないこと」だったのだ。

松江では美徳とされていた行動が、熊本では恥とされていた。文化の違いといえばそれまでだが、そんな背景を知らない八雲には、ただ「冷たい生徒たち」に見えるだけだった。

すれ違いとは、たいていこういうものである。

一方で丸山はやっぱり八雲の性格も問題があったことはきちんと指摘している。

前にも述べたように彼は感情的な性格であって一つが気に入ればその近くのものすべてが気に入って来るが、なにか不愉快なことがあればその気分をほかのそれと間近にあるものまでも及ぼすのである。
旧制第五高等中学(熊本県)明治27年7月卒業生。最下段右から二人目がラフカディオ・ハーン
旧制第五高等中学(熊本県)明治27年7月卒業生。最下段右から二人目がラフカディオ・ハーン(写真=『Diaries & letters』北星堂書店/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

“わずかな生徒”とは親しかった

手厳しいが、まったくその通りである。

しかも忘れてはいけないのが、この時の八雲はすでに40代。当時の感覚でいえば初老に差し掛かった、いい大人である。それが仕事に対して、生徒に対して、土地に対して、一つ気に入らないことがあれば周辺のものすべてが嫌いになる。松江が好きだから松江の生徒も好き、熊本が合わないから熊本の生徒も合わない。まるで「給食のピーマンが嫌いだから今日の給食全部嫌い」と言い張る小学生である。

いや、小学生に失礼か。思春期の自意識と幼稚園児のわがままが、そのまま中年男性の体に封入されたとでも言うべきか。

よくもまあ、セツは最後まで正気を保って添い遂げたものだ。

そんな中でも、わずかな生徒は八雲と親しく交流をしていたようだ。その1人が八雲が住んだ屋敷の所有者の次男・赤星典太(後に内務官僚)。彼に至っては、生徒であるだけでなく最初の1年あまりは屋敷内の別棟に住み、書生の役割も果たしていた。

赤星は後に長崎県知事に就任、最初の共同募金運動を始めた功績で知られることになるのだが、ここには八雲の教育的影響があったともされている(中嶌洋「長崎県社会事業協会による『社会事業費共同募金運動』の背景 長崎県知事,赤星典太の思想へのアプローチを中心に」『日本獣医生命科学大学研究報告』64)。