八雲は「学校運営」に苛立っていた

なんともほほえましい光景ではないか。異国の教師が吐き出す葉巻の煙を、わざわざ追いかけて嗅ぎに行く学生たち。悪意でも反抗でもなく、純粋な好奇心である。これを読むと、八雲が必ずしも生徒を嫌っていたわけでもないし、それなりに交流があったことが見て取れる。

しかし、丸山は白壁傑次郎(東京帝大を卒業後、五高で教授に)のこんな証言も記録している。

私が一番ヘルン先生に感服したのは作文を丁寧に見て返されることです。(中略)先生は五高を嫌っていられた様ではあるが、それは生徒を嫌われたのではないと思う。五高の当時者が人を遣う道を知らないといって不平を言っていられたということは、耳にしたことがある。

なるほど、これは重要な証言だ。白壁によれば、八雲が嫌っていたのは生徒ではなく「五高の当事者」つまり学校の管理側、上司にあたる人間たちだったというのだ。「人を遣う道を知らない」という不満は、要するに教師をコマとしてしか扱わない学校運営への苛立ちである。

週27時間という重労働も、そういう文脈で見ると少し違って見えてくる。八雲は生徒に怒っていたのではなく、そういう環境に自分を置いた組織に、そして思い描いていた理想の教育者像と現実の乖離に、怒っていたのかもしれない。

黒板のABCD
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話しかけてくる生徒は極わずか

では、なぜ卒業生への恨み節が出てくるのか。

熊本県出身の丸山は、そこまで八雲が熊本を嫌った理由が気になったのか、熱心に調査し考察をしている。

丸山がまず挙げるのは松江に比べると生徒が八雲に話しかけることが少なかったことだ。丸山は八雲の掌編『九州学生』で、軍事教練の支度をしている生徒と八雲が運動場の隅で談義する場面をさして、これは「かくあってほしいというヘルンの欲望を現したものに過ぎない」と断言している。

実際、八雲は授業時間の合間にいつも校庭でパイプを吹かしていた。しかし、話しかけてくる生徒は極わずかだった。松江の頃には着任当日から生徒が旅館に訪ねてくるほどだったというから、八雲としてはかなり不満だったに違いない。

「松江ではあれほど慕われたのに、なぜ熊本の生徒は話しかけてこないのか」おそらく八雲の頭の中はそういう比較で埋まっていたはずだ。現代風に翻訳すれば、「なんでスカした態度取ってるんだ。九州じゃエリートかもしれないけど、意識高い系か?」といったところだろうか。

丸山によれば、これは八雲の前任の外国人教師が人嫌いで生徒の来訪を嫌っていたことに加えて、熊本独特の気質が影響していたという。