これが「難民ようこそ政策」の10年後の姿
ミュンヘンの元Ifo経済研究所所長で、著名な経済学者でもあるハンス=ヴェルナー・ジン氏は、「ドイツは、税金も社会保障費も払っていない人をあまりにもたくさん養いすぎている」と指摘していた。
また、青山学院大学の福井義高教授は次のように語っている。
「誰にでも一定の生活水準を保障しようという福祉国家と大量移民は両立しません」〔『優しい日本人が気づかない残酷な世界の本音』(ワニブックス)〕。
移民の導入には、メリットとデメリットがある。2015年、ドイツ政府は、大量に入れた難民が労働移民になると期待したが、10年後の今、図らずもデメリットに押しつぶされそうになっている。
移民が増えれば、安い労働力を得られる大企業にとってはメリットだ。しかし、働いていない移民が増えすぎると、その補助は全て税金で負担するわけで、国民全体としてはほとんどメリットはなくなる。
治安が悪化し、社会福祉制度が犠牲になり、また、ドイツ語を解さない生徒が多すぎて崩壊する学校も出てくる。教育は国家の要だ。
だからこそ、昨年のドイツの総選挙の大きな争点の一つは移民政策だった。
日本の政治家は、なぜこれらの事象を見ようとしないのか?
問題の根本は“移民”ではない
ただ、私が強調したいのは、だからと言って移民が悪いのではないということ。
より良い生活を求めて異国を目指すのは、当然の欲求だ。悪いのは、きちんとした枠組みを作らずに、ダラダラと曖昧な移民政策を続けるドイツ政府だ。
それを日本に置き換えるなら、今後、大量の移民のせいで、日本の文化や、伝統や、治安が次第に侵食されていくならば、悪いのは政治だけでなく、それを放っておく私たち自身だと思う。
1クラスに2〜3人、日本語の苦手な子供がいてもどうにかなるが、10人もいたら、もう取り返しはつかない。
だからこそ高市内閣は、どんなに産業界からの要望が強かろうとも、移民の大量導入には慎重に対処してほしい。
人手不足の解消も、日本にはそれを可能にする技術力、何よりイノベーションの力があるはずだ。だから、もう決まっていることだからと言わず、もう一度立ち止まって、他の可能性を模索してほしい。そして何より、国民が全力で声を上げるべきだ。
これは、日本の文化と伝統、そして、子供たちの未来を守る戦いなのだから。



