「ケイパビリティアプローチ」という枠組み
アマルティア・センとマーサ・ヌスバウムという二人の思想家を中心に発展してきた「ケイパビリティアプローチ」は、人間のウェルビーイングを「何ができるか=ケイパビリティ」と「何を実際にできているか=ファンクショニング」という観点で捉えようとする枠組みだ。
ケイパビリティアプローチでは、まず、以下の二点が基本的な規範的主張として打ち立てられる。
・ウェルビーイングを達成する自由こそが重要である
・そのウェルビーイングとは、人々が「できること」、「できていること」によって捉えられるべきである
ここでいう「できること/できていること」とは、たとえば「十分な栄養をとれる」「教育を受けられる」「移動の自由をもつ」「家族をケアできる」といった、人間にとって重要な活動や状態のことを指す。ケイパビリティとは、そうした活動や状態を選択できる、潜在的な選択可能性を指す。
ケイパビリティアプローチの特徴は、貨幣やモノといったリソースを人々が持っているかどうかではなく、それらの手段をどれだけウェルビーイングに転換できるかを問うところにある。
たとえば、車イスが必要な人と、そうでない人に同額の貨幣を渡そう。これは公平だろうか。正しいだろうか。そうではない。なぜなら、車イスを買うためには相当なお金が必要であり、他に回せるお金が少なくなってしまう。同額という観点から言えば平等にみえるが、使えるお金に制限がある。このように、ケイパビリティに違いがあるなら、平等とはいえない。
量だけでは「いい時間」を得られているか評価できない
締め切りの〈時計〉が人々に押しつけられることで、多様な〈いい時間〉を奪ってしまう。ここで、「一日何時間の自由時間がある」という量的な時間の把握だけでは、人がどれだけ〈いい時間〉を得られるか、得られていないかが評価できない。たとえ数字の上では時間があっても、ケアに追われたり、体調が悪い時間が長かったり、心身の障害があるがゆえに移動に時間がかかったりするならば、それは人々が「使える時間」になっていない。つまり、このとき、時間資源はウェルビーイングに転換できていない。
では、実際にどのような指標を設計すれば、締め切りによる時間搾取を発見できるのだろうか。試案として、以下の要素を挙げたい。
第一に、時間自主性がある。これは、自分が望むときに、どの程度、時間の使い方を決められるか、という時間の裁量権に関する要素だ。
第二に、時間満足度がある。これは、時間の過ごし方から当人がどれだけのウェルビーイングを得られているかを測る要素だ。たとえば、ある人は一日の大半を仕事に費やしているとしても、そこでの業務がその人の好みの〈時計〉に従っていて、たとえば、ゲーム的な楽しさを伴うならば、時間満足度は意外に高いかもしれない。

