誠実な対応をせず、批判材料を失った
それは他党もリベラル系メディアも同じだ。熱心に旧統一教会と自民党の関係を批判してきた社民党の福島瑞穂氏ですら、ニコニコ動画の開票特番で、私がこの件を質問した際に、野田氏の説明を追っていなかったと明確に証言した。
ここで野田氏が「私に非があった。自民党に追及してきたことと同じことをやったので代表の職を辞す」とでも言えば過去の言動と比べても筋が通っており、具体的な争点として高市政権や自民党議員にも波及したかもしれない。
しかし、私の取材に対して野田氏が語ったのは「(旧統一教会系が支援したという)報道は残念だった。選挙戦初動だったので非常に影響があったと思う。私は説明はするし、毎日ぶら下がりに応じることで説明責任を果たしてきた。(『週刊文春』に旧統一教会絡みのスキャンダルが報じられた)総理はぶら下がりもやらないので、説明責任を果たしてない」ということだった。
自民党議員もぶら下がり取材に応じる、あるいは公開の場でインタビューに応じればそれで責任を果たしたことにするという基準を示したことを意味する。
さて、この基準を中道に賛同した議員や支持者は認めるのだろうか。単に自民党の支持率を下げるためのスキャンダルとして活用したかったのならば、それでいい。だが、真剣に問題解決が必要だと受け止めているのならば、ダブルスタンダードは通用しないはずだ。
中道は、野田氏の「統一教会疑惑」に誠実に対応しなかったことで、自民党に対する批判材料のひとつを確実に失ってしまった。
「普通の人々」の支援が集まらなかった
7日の池袋駅東口は象徴的だった。野田、斎藤両氏のマイク納めは街頭で演説ができる20時まで15分を残して、19時45分に終わった。ぎりぎりまで時間を使わず、あっさりと囲み取材に移った。何か特別な事情があったとしても、必死さという意味では政権与党どころか他の野党の訴えと比べても見劣りした。
一方で、同じ日に私はJR阿佐ケ谷駅の南口で高市氏の街頭も取材した。そこに集まっていたのはまさに「普通の人々」で、報じられるような高市フィーバーとは程遠い空気だった。高市氏の政策的な論点を並べた演説を聞き、合いの手もさほど上がらない。冒頭に挙げた票の出方を見ても、有権者の熱狂というよりも冷静に見極めて、一度は任せてみようと判断したというほうが実態に近い。
政権交代可能なリベラル政党を生み出すためには、中道が犯した一連の失敗の逆をいくしかない。すなわち、これまでの3点を擁護する人々の声よりも、もっと広範に存在する普通の有権者の声に応えて、確たる軸をもった政策論で穴を埋めた政権担当能力ある野党として再起動することだ。
時々の政権を批判するだけの勢力は求められてはいない。批判の弱点は受け身でしかないことだ。時の政権がAと言えばBだといい、BをとればAだと言うだけの政党に政権を担うだけの存在価値はないだろう。


