名前こそ書かれていないが、このとき釜茹での刑にされたのが、石川五右衛門だった。その事実を裏付けるかのように、スペインの商人アビラ・ヒロンの『日本王国記』にも詳しく書かれている。次に、その内容を示すことにしよう。
落書きに怒り油茹での刑に
京都に盗賊が集まり、巾着切り(スリ)をするため、多くの人を殺害した。それゆえ、京都、伏見、大坂、堺などでは、朝になると死体がゴロゴロとしていた。盗賊のうち何人かを捕縛し拷問したところ、15人の頭目がいることが明らかになった。頭目一人につき、30~40人の手下がいた。15人の頭目は、生きたまま油で煮られ、彼らの妻子、父母、きょうだいに加え、五等親までが連座して磔刑に処された。盗賊らも、一族もろとも同じ刑に処されたのである。
『日本王国記』の注記によると、油で煮られたのは、石川五右衛門と9~10人の家族だったという。当時、京都などの主要都市では、盗賊が活発に活動しており、秀吉は頭を抱えていた。ゆえに、釜茹でという厳罰に処して、見せしめにしたのである。
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