まさにシンデレラストーリー

しかし、礼宮は悲願成就のために猛進した。それは当時の礼宮の結婚までの動きを見てみるとよくわかる。

朝日新聞がスクープした2人の結婚だったが、当時は昭和天皇がその前年の1989年1月に逝去して喪中の時期であった。

しかも兄の浩宮のお妃選びも決まっていなかった。

しかも、お相手は“全くの庶民”の娘さんで、3LDKの大学教職員用の共同住宅住まい。川嶋家のほうが辞退するのではないかとまでいわれていた。

だが、報道以降、すさまじい紀子さんフィーバーが巻き起こった。テレビ、一般週刊誌、女性誌は詳細に紀子さんの日常を報じた。

まさに「シンデレラストーリー」であった。

しかし、礼宮は英国に留学しなければならなかった。紀子さんと会えなくなるため、「紀子を英国に呼ぶ」とまでいい出したという。

留学から一時帰国していた時、紀子さんが礼宮にプレゼントした「ナマズの指輪」も大きな話題になった。

口さがない皇室の中には、紀子さんが皇室に入ってやっていけるのかという声があったという。

そうした紀子さんの立場を理解し、後押ししてくれたのは美智子皇后だったといわれている。川嶋家のほうがこの結婚に、最後まで逡巡していたようだ。

だが2人の意志は固かった。礼宮の「紀子さんと一緒になれないのなら、皇籍を離れてもいい」という発言が漏れ聞こえてきた。

ご難場のきっかけは長女の結婚

一日千秋の思いで待っていたのに、突然、礼宮の帰国が延期された。一説には、宮内庁の中に礼宮のわがままが過ぎる、すこし頭を冷やしてやろうという意図があったという説もあるが、真偽のほどはわからない。

美智子皇后の強力な後押しもあり、2人が結婚したのは1990年6月29日。

結婚後の秋篠宮家は至極順調のように見えた。美智子皇后を慕い、同じように振る舞う紀子さんは、周囲が心配していたことなど“杞憂”に過ぎなかったと思わせた。

長女の眞子さん、次女の佳子さんが生まれ、長男の悠仁さんが生まれたときは、多くの国民が祝福した。

秋篠宮一家
秋篠宮一家(写真=在チェコ日本国大使館/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

2019年(令和元年)5月1日、皇太子・徳仁の即位に伴い、夫の文仁親王は皇嗣となり、紀子さんは皇嗣妃となった。

順風満帆だった。あの事が起きるまでは……。

長女・眞子さんと小室圭さんが交際し、婚約記者会見をしたのが2017年9月3日。その頃から、秋篠宮家は紀子さんが仕える者たちに厳しく当たる「ご難場」だという噂が出てくるようになった。