一般参賀での残酷な光景
こうした報道から伺えるのは、結婚前や結婚した当時の紀子さんスマイルが消えてしまって、何やら重い空気が支配している秋篠宮家の内情である。
眞子さんの婚約、小室圭さんの母親の金銭問題が発覚して婚約延期、その後の逃げ出すようにニューヨークへ行ってしまったことなどが、紀子さんの心に深い影を落としているのだろうか。
雅子皇后の娘・愛子さんと悠仁さんは何かというと比較される。紀子さんはそのことを大変気にしているという報道も多くみられる。
2026年の皇居の一般参賀に悠仁さんがデビューした。
愛子さんとのそろい踏みといっては失礼だが、若い2人を見たさに多くの人が訪れたが、そこでこんな動きがあったと『週刊新潮』(2026年1月15日号)が報じている。
「宮内庁関係者が、当日の様子を振り返る。
『皇居正門が開門した朝9時30分の時点で、1万5000人余りの参賀者が列を作っていました。その後、東庭まで誘導されていったのですが、やはり両陛下の正面にあたる中央に陣取ろうとする人たちが多く、続いて愛子さまがお立ちになる、ベランダに向かって左側にも人が集まってきました』
警備の者たちは、安全の面でも、『右が空いています』『右のほうへ行ってください』と声をからしていたのだが、1万5000人の大参拝者は動こうとしなかった。
右側には初デビューした悠仁さんたち秋篠宮家の人たちがいた。左側には愛子さん。
『図らずも、天皇家と皇嗣家のコントラストが露になってしまったというのだ』」
紀子さまが担う重要な役割
今年の参賀者は合計6万140人だった。天候に恵まれたのに、昨年から500人減ってしった。それについて、上記記事内で、皇室ジャーナリストは、「悠仁さまの“デビュー”が数字には結びつかなかったと言わざるを得ません」といっている。
秋篠宮紀子さんには、将来の天皇を育てるという重要な役割がある。週刊誌報道などに一喜一憂しなくてもいいと思うのだが。
一方の雅子さんが皇太子(現天皇)と結婚した経緯については、いまさらここで触れるまでもないだろう。
皇太子の一方的な求愛を、何度も断り続けたことはよく知られている。
失礼ないい方にはなるが、雅子さんには皇太子妃になるよりも、やりたいことがあったからだ。
雅子さんは外交官である小和田恆・優美子夫妻の長女として東京で生まれた。
父親の恆氏が在ソ連日本大使館一等書記官に就任し、一家でソ連に渡った。
その後、父親が国際連合日本政府代表部一等書記官に就任となり、アメリカのニューヨーク州へ移った。1971年には、父親が外務大臣秘書官に就任したため、一家は日本に帰国している。
田園調布雙葉中学校、高等学校に進学して、その後、マサチューセッツ州にある公立ベルモント・ハイスクールに転入学して2年間通学している。

