仏教の教えがわからない分、形に残るものが欲しい
従って、葬式仏教を一つの宗教と考えることもできる。例えば曹洞宗の葬儀である。道元が開山した禅宗の曹洞宗の葬儀は、「故人が仏の弟子になるための儀式」でもある。だから前半部で故人が戒名や戒法を授かるための「授戒」を行い、後半部で故人を仏の世界に導く「引導」を行う。その流れの中でお経や回向文が読まれて焼香が行われる。
故人の家族・親族はこの儀式によって、あの世に仏の弟子として旅立つ者の安穏を祈ることができるし、参列者もまた祈り、別れを告げられる。一神教の神はイメージできなくとも、仏教の教義は理解できていなくとも、葬儀や法事、お盆や彼岸のお墓参りや供養を通じて、仏教徒としての信仰を持ち、宗教的行為を行っている。
だから「骨をきれいな形で残したい」という意識が生まれるのではないか。教義・経典からの信仰でない分、形あるものが欲しくなる。
葬儀が一般化するのは鎌倉仏教が普及する室町時代以降のことで、江戸時代の檀家制度によって葬儀と墓が浸透し、特に明治時代の火葬によって「家墓」が建てられ、そこが供養の中心地となる。故人は弔う対象だけでなく、見守ってくれる存在でもあり、神道の影響で祖霊信仰を持つ日本人は、寺や神社、墓や仏壇、神棚の前で、手を合わせて祈り、加護を願う。
「きれいな遺骨」から、海や山に撒く散骨へ
そのためにも「きれいな遺骨」が求められた。また、そこには戦死者の遺体を「英霊」として篤く扱い、社会的に追悼してきた戦前・戦中の影響もあろう。
始まったのは日中戦争の開始とほぼ同時期の1937年頃からで、帰還した英霊を運ぶ列車には「英霊」の文字が印刷された白地に黒枠の紙が貼られ、人々が拝礼できるようにした。白木の箱に入った遺骨は白布で包まれて遺族に手渡され、正装した遺族が肩から吊って胸に抱き、斎場に向かいそこで慰霊祭が開催された。英霊は先祖代々の墓に納骨され、御霊は国家のために殉難した人を対象に創建された靖国神社に祀られた。
ただ、風俗習慣は時とともに移る。「骨への思い」にも変化が生じている。戦争が遠くなるのと同様に、先祖を祀り長男が承継する「○△家の墓」という家墓へのこだわりが、平成に入った1990年代から薄れていった。少子高齢化、核家族化、結婚しない層の増加などによって人口動態が変化し、「承継しない墓」への要望が生まれたのだ。その究極が骨を砕き粉骨して山や海に撒く散骨である。

