「患者さんの顔を見ることで発見がある」
最も興味があったのは、日本で唯一、診療科を横断してロボット手術を扱う低侵襲外科センターがどれだけ機能しているか、だった。低侵襲外科センターでは、執刀医は〈最大手術時間〉〈最大出血量〉を申告。この数値を超えた場合は、チェック係の医師が手術を停止させる。チェック係には執刀医とは別の診療科の医師をあてる。
「普通は別の診療科の医師にチェックされることに抵抗がある。ところが、カンファレンス(症例検討会)では活発な議論が行われていました。また、他の診療科には、ぼくらでは考えられない鉗子の使い方、セッティングをされている医師がいた」
診療科を越えた結束力と同時に、プロ同士の厳しさを感じたという。
診療科を預かる教授の職務は、教育、研究、そして診療の3つが主だ。その日々は多忙である。そんな中でも、田中は患者への説明には時間を割いている。外来、そして病室を訪れる時間を大切にしている。そこで「具合はどうですか?」「様子見ましょうね」「頑張ろうね」と声をかけるのだ。
「患者さんと話をするのが好きなんです。顔を見ることで発見があると思っています」
田中は2011年から約2年半、アメリカに留学、肺移植の基礎研究に従事していた時期がある。論文が認められ、そのままアメリカに残るという選択肢もあった。日本に戻ったのは、臨床医として患者の役に立ちたいという思いが強かったからだ。
「手術って人生の大きな決断。我々はそうした気持ちを理解した上で説明しなければならない。長すぎると患者さんも疲れてしまうので、30分程度。できるだけ丁寧にお話したい」
いかに若い先生たちのための道を作るか
そして後進の育成にも力を注ぐ。
「医師としてある程度、背中を見せなければならない。ただ、主役は教室のみんなです。私はマネージャーとしても力を発揮していきたい。いかに若い先生たちのための道を作るか」
田中は5年を一区切りとした計画を常に頭に浮かべている。
「最初の5年間はまず足場を作る。次の5年でさらに新しいことを進める。いずれは、鳥取大学に国外から多くの留学生を呼び込む、あるいはロボット呼吸器外科手術のパッケージを作り、そのソフトを国外に輸出していきたい」
その原点となっているのは、阪神・淡路大震災での経験だ。困っている人の力になりたいという田中の目線がぶれることはない。
1977年兵庫県神戸市生まれ。神戸大学医学部医学科を卒業後、神戸大学病院、国立病院機構医療センターなどを経て、2011年からアメリカに渡り、ピッツバーク大学メディカル・センターで肺移植の基礎研究に従事。2013年に帰国し、神戸大学病院に戻る。2019年、神戸大学病院呼吸器外科 病院准教授。2024年11月、鳥取大学医学部呼吸器・乳腺内分泌外科学分野教授に就任。


