被災地支援にやってきた医師である叔父の友人たち
田中が通っていた長田高校は避難所になった。
「近所のおじいちゃん、おばあちゃんたちが避難所にいました。水の入ったポリタンクは重い。昼ぐらいから避難所に行って、水を運んだり、掃除を手伝ったり」
毎日の仕事は水汲みでしたねと、田中は振り返る。そんな頃、医師である叔父の友人が被災地支援でやってきた。
「放射線科の先生が放射線技師、看護師さんたち10人でチームを組んで、物資を持って来られた。(建物が倒壊して)車は入れないので自転車でした。うちに泊まりながら避難所を回った。ぼくは道案内のお手伝いをしました。目の前で苦しんでいる人がいるのに自分は何もできない。そこで先生たちが淡々と診察をされる姿を見てすごいなと思いました」
その後も彼とは手紙をやりとりした。それまで田中は漠然と理系学部に進み、研究者か教職につくことを考えていたが、彼との出会いで医学部を受験することに決めた。そう手紙に書くと、こう返事があった。医師はしんどい、ただ人を助けることができる素晴らしい職業でもある、と。
専門として呼吸器外科を選んだ理由
本格的に受験勉強を始めたのは高校3年生の4月になってからだった。震災以降、受験勉強から離れていたため、最初に受けた模擬試験は悲惨な結果だったと田中は笑う。
「やばいと思って、ずっと勉強していました。あんなに勉強したことはなかったぐらい。開き直りですね。震災がなかったらあそこまで集中できなかったかもしれない」
そして、第一志望だった神戸大学医学部に合格した。専門として呼吸器外科を選んだのは、震災後の解体作業の影響で肺がんが増えると耳にしたからだ。
「肺の外科手術が必要になるはずなのに、医師が少なかった。肺はすごく繊細なんです。スポンジでできた風船のようなもので、すぐに傷がつく。医師の技量によって手術時間が変わってくる。そこにやりがいを感じました」
肺がんの切除など、呼吸器外科の手術では、まず脇の下を15センチ程度、切開し、肋骨と肋骨の間(肋間)に万力のような器具(開胸器)を挿入して肋間を開き固定することで、肺への手術が可能となる。
もう一つの選択肢は胸腔鏡手術だ。これは数センチの“傷”をつけ、内視鏡と鉗子を入れて施術する。
「肺は身体の深い場所にあるので、長い器具を使います。(手術時に)出血があると結構な量になる。手術としては難しい部類に入る」
だからこそ、術者の経験、技量による“差”が出てくる。こうした前提をがらりと変える可能性のある術式――ロボット支援手術と田中が出会ったのは、2014年12月のことだった。場所はとりだい病院である。
「神戸大学でロボット手術は泌尿器科で積極的に行われていました。ぼくも呼吸器外科でロボットを使ってみたいと思っていました。当時は呼吸器外科でやっている施設がほとんどなかった。とりだい病院でやっているというので見に行くことにしたんです」
ロボット手術では患者の体に小さな穴をあけ、4本のアームに取り付けたカメラと手術鉗子を挿入。術者は、コンソールと呼ばれる操縦席で、カメラと鉗子を動かし、手術を行う。
この術式の最大の利点は切開部分が少ないことだ。そして器械を使用することで、術者の熟練度がある程度平均化される。

