秀吉の甥・秀勝の娘の子孫

木下家は秀吉とゆかりはあるが、実際には妻の実家で、血は繋がっていない。血が繋がっている唯一の事例が公家であり藤原氏摂関家の九条家だ。

秀吉の甥(姉の息子)・豊臣秀勝(小吉)の娘、完子さだこは慶長9(1604)年に五摂家の九条幸家ゆきいえに嫁いだ。伯母にあたる淀殿が縁談を進めたのだという。慶長9年といえば、その前年に徳川家康が征夷大将軍に任じられた年である。完子の縁談は、豊臣秀頼の関白就任を企図した布石だといわれている。

豊臣完子の母、豊臣秀勝の妻だった江(崇源院)の肖像画
豊臣完子の母、豊臣秀勝の妻だった江(崇源院)の肖像画(写真=長浜市立長浜城歴史博物館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

愛子さまにも秀吉の姉の血筋が

江戸時代に入り、九条幸家が関白に就任。完子は、寧と同じ「北政所」(関白の正室)になった。完子は四男三女を産み、長男の康道は二条家、次男の道房は九条家を継いだ(長男が二条家を継いでいるのは、幸家の父が二条家からの養子だからだろう)。そして、その子孫が今なお続いており、五摂家の内、九条・二条・鷹司家の現当主となっている。

昭和天皇の母親(貞明皇后)は九条家の出身なので、現在の天皇家もその子孫ということになる。ということは、現在の上皇も、今上天皇も、その長女である愛子さまも秀吉の血筋に当たるのだ。

九条公爵家から大正天皇に嫁いだ貞明皇后の肖像、1912年
九条公爵家から大正天皇に嫁いだ貞明皇后の肖像、1912年(写真=毎日新聞社『天皇四代の肖像』/宮内省/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons
【図表2】豊臣秀吉の姉とその子孫たち