寧の兄の五男は関ヶ原で裏切った

家定の子では五男・小早川秀秋こばやかわひであき(1582?~1602)が関ヶ原の合戦で西軍を裏切り、大勝利への道筋をつくったことで有名である。この秀秋にくらべ、実兄たちは関ヶ原の合戦で曖昧な態度を見せ、改易(寸前のところ?)までいった。しかし、長兄・次兄は叔母・寧の取りなしで、三兄は義兄・細川忠興の取りなしで大名に復帰できた。持つべきものはいい親戚である。

その結果、家定の次男・木下利房(1573~1637)の子孫が備中足守びっちゅうあしもり藩(岡山市北区)2万5000石の大名、三男・木下延俊(1577~1642)の子孫が豊後日出ぶんごひじ(大分県速見郡日出町)藩3万石の大名となり、明治維新後はともに子爵に列した。長男・木下勝俊(1569~1649)の家系は嗣子がなく断絶した。

小早川秀秋像
小早川秀秋像(模写)。(高台寺所蔵)、17世紀(画像=東京大学史料編纂所/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

明治維新後は子爵になったが…

利房の子孫・木下利玄(1886~1925)は子爵家を継ぐ傍ら、俳号「りげん」を称する著名な歌人であったが、嫡男・木下利福(1922~1974)に男子がなく、足守藩木下家は途絶えた。

木下利玄(理玄)子爵の写真、1910年代頃(鎌倉文学館所蔵)
木下利玄(理玄)子爵の写真、1910年代頃(鎌倉文学館所蔵)(写真=PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

そこで、延俊の子孫が豊臣家の末裔を語っている。18代目の木下俊凞としひろ(1898~1986)は戦前に陸軍特務機関に所属し、右翼・ヤクザと交流があった自称「ヤクザ殿様」。戦後はパチンコ店を経営。そのキャラクターも相まって、多くの雑誌で取り上げられた。19代・木下崇俊(1934~2022)には娘二人で男子がなく、養子を迎えたいと語っていたが、その後の動向がつかめていない。大河ドラマに関連するテレビ企画などで明らかになるかも知れない。