高学歴に不利ないまの新卒採用条件

そんな対話ベタの若者の中から、理系の知識と文系のコミュニケーション力を兼ね備えたスーパーマンを見つけ出そうというのが、今日の企業の採用姿勢なのだ、と浅田氏は言う。

「要するに、組織に依存する体質の人材ではなく、1人で考え、行動し、生きていくことのできる生命力や存在感を持った人材を欲しがっているんです。そこがクリアできなければ、たとえ一流大学卒のブランドがあっても、企業は採用しません」

生命力や存在感というのは、言い換えれば“人間力”である。しかし、人間力というのは、社会に出て、さまざまな体験を経て、ようやくにじみ出てくるもの。中高年になっても人間力のかけらも感じさせない人物など、世の中に掃いて捨てるほどいるのに、面接にやってくる学生にそれを求めるというのは、あまりにも酷な注文なのでは?

「確かにかつての日本企業のように、一から人材を育てるという努力を放棄しているという見方をすれば、企業の怠慢かもしれません。しかし、それが現実なんです。最初からそうした強さを持った学生だけを採用して、少数精鋭で戦っていこうというのが、いまの多くの日本企業の考え方なんです」(浅田氏)

なるほど、どうやらこのあたりに、高学歴就職難民が生まれる秘密があるようだ。

1980年代半ば、ある一流総合商社の採用担当者はこんなことを語っていた。

「学生が無能なのは当たり前。だって学生なんだから。ただ、伸びしろのあるやつ、気骨のあるやつのいる率は、やっぱり一流大学のほうが高いから、大学名でどっさり採用してから、徹底的に鍛えてふるいにかければいい。一人一人の人となりなんて見ているヒマはないよ」

いまから考えるとずいぶん乱暴な話だが、おおむねこれが、高度成長期から続く新卒採用の考え方だった。だからこそ「一流大学 → 一流大企業」という図式が成立したわけだ。

なにやら様子が変わり始めたのは、やはりバブル崩壊から数年を経たころからだったか。

2000年代初頭、とある旧財閥系上場企業の社長が新卒社員の入社式の日に、こっそりこんなホンネを漏らしたのを聞いたことがある。