「本当のことを言うと、今日この式に参加している人材はすべていらない。本当に欲しいのは自分の力で起業して、独力で儲ける仕組みを作り、売り上げを作れるクラスの人材。でも、そんな人はそもそも組織の枠に入ってこないから、うちの面接は受けにこないんだよ……」

自立した人材を渇望しながらも、大企業に依存したいというタイプの志願者の中から採用せざるを得ないという矛盾を、このころから企業は抱えるようになった。

それでも新卒採用を続けていただけ、当時はいまよりはましだったのかもしれない。浅田氏の指摘する通り、体験によって生まれる能力を、体験の少ない若者に求めるという無理難題を押し付けながら、もし、めがねにかなう人材がいなければ採用そのものを控えるという戦略を企業が採り始めているとすれば、いわゆる“高学歴エリート”には、きわめて不利な状況だといえよう。なぜなら彼らはさまざまな体験をする時間を犠牲にして、受験勉強を勝ち抜いてきたわけだから。

居酒屋バイト vs 家庭教師

浅田氏がその卑近な例として挙げたのが、アルバイトである。

「二流、三流大学で居酒屋でアルバイトをしている学生などの場合、日常的に社会人と接し、彼らのホンネを耳にしたりする機会があります。そうした中で『大人ってこういうものなんだな』という具体的なイメージを持てれば、面接でもある程度、大人と同じ目線で対等に話すことができます。ところが一流大学の学生はというと、アルバイトはほとんど家庭教師か塾講師。大人と接する機会はほとんどありません。また、挫折体験も少ないので、受験勉強以外で何か困難を乗り越えたり、人との葛藤を経験したりしておらず、人間力を養う機会に乏しい。結果、二流、三流大学の学生が思わぬ企業から内定を取ってくる一方で、山中君のように、一流大学出身でもなかなか内定が取れない学生が増えているんですね」

この「体験の不足」という観点から山中君のケースを見てみると、なるほど浅田氏の指摘が正しいことがわかる。山中君は4人兄弟の末っ子で、上は全員兄。父親が無口であることに加え、男ばかりの家族構成であったため、家庭内に対話らしい対話はなかった。むしろ、3人の兄に対する反発で、受験勉強に打ち込み、京大に合格したという経緯がある。

大学進学後は学費以外はアルバイトで賄うという苦学生活。アルバイトはすべて家庭教師だった。

家賃と食費の節約のため、大学の寮で生活。学業とアルバイトに明け暮れる毎日であったため、成績はよかったが、友人と遊んだり、異性と恋愛したりする時間は犠牲になった。

「確かに恋愛はしておけばよかったと思いますね。理系の環境には女子がほとんどいませんし、なかなか難しいことではありますけど、なんていうか就職活動と恋愛って似ている気がするんです。相手を研究したり、こちらをアピールしたり。ですからこれから就職活動をする後輩には『恋愛はしておけよ』とアドバイスしています。僕もこれからですけど(笑)」