※本稿は、青山誠『小泉八雲とその妻セツ 古き良き「日本の面影」を世界に届けた夫婦の物語』(角川文庫)の一部を再編集したものです。
セツはハーンと結ばれ、武家屋敷へ
明治24年(1891)、6月22日付の西田の日記に「ヘルン氏、北堀町ニ転寓セラレ」と記されている。湖畔の家からの眺望は気に入っていたのだが、冬場に湖から吹きつけてくる寒風が辛い。
次の冬が来るまでには引っ越しするつもりだった。また、セツが同居するようになってからは家が狭く感じられて、新居探しを急ぐようになっていた。
北堀町は松江城の北側、城の堀と崖に挟まれた谷間のような場所である。堀川に沿って通された塩見縄手と呼ばれる道には、立派な長屋門を構えた武家屋敷が建ちならんでいる。
藩政時代はセツの実家・小泉家と同レベルの家格が高い藩士が住む地域だったという。ハーンが借りた家も、藩の番頭を務めた禄高300石の根岸家の屋敷である。県庁職員の家主が遠離地に赴任し、空家となった屋敷を月額3円の家賃で借りたのだった。この屋敷は当時のままに現存しており「小泉八雲旧居」として公開されている。
「ばけばけ」には出てこないペット
セツもこの新居が気に入ったようである。家格は違っても武家屋敷の意匠や間取りには共通点が多く雰囲気が似ている。藩士の娘として幸福に暮らしていた頃の思い出に浸っていたのだろうか。
「私共と女中と猫(※註1)とで引っ越しました」とセツは語っている。この頃はセツの他にもうひとり女中が雇われていた。西田をはじめとする友人・知人が引っ越し祝いに訪れた時には、女中に指図しながら家のことを取り仕切るセツの姿を目にしただろう。それを見たらもうセツのことを住み込み女中とは思わなくなる。誰の目にも「この家の奥さん」だと映る。知人たちの認識を改めさせる上でも、この引っ越しは良い機会だった。
(※註1)セツが住み込みで働くようになってまだ間もない頃、ハーンが虐待され水に溺れていた子猫を助けて、一緒にびしょ濡れになりながら帰ってきた。その光景がセツの目に焼きついて忘れられず「その時、私は大層感心致しました」と、思い出話によく語っていた。この時にはすでに彼女もハーンには特別な感情を抱いていたのだろう。

