“興味を持ったものに全力投入”な八雲

この一文からは八雲が、常に全身全霊で取材するために生きていた人物であることが窺える。八雲にとってはすべてが「興味の対象」であり、興味を持ったものには全力で没入していたのだ。それは女性に対しても同じだった。八雲が興味を持つのは、女性本人ではない。その人の生活や文化なのだ。

当然、一定数の女性はこれを誤解する。なにしろ細部まで根掘り葉掘り真剣に聞いてくる。話に耳を傾ける時も同様だ。しかも、近眼だから異常に顔を近づけて「冷血漢とさえ思われるほど真剣」に、相手を見つめる。……これを恋愛感情と勘違いする女性が出てくるのも、無理はない。そんなバカなと思わないでほしい。現代でも、男女別なく取材で真剣に話を聞いてくれる記者に恋してしまう人は珍しくないのだ。

ならば、なんで、ビスランドは、ありがちなこのパターンに堕ちなかったのか?

答えは単純だ。ビスランド自身が作家であり、八雲と同じく筋の通った「取材する側」の人間だったからである。

エリザベス・ビスランドは、現代では優れたジャーナリストであり、編集者としても活躍したと記録されている。彼女の業績を語る上で、1889年の世界一周レースは必ず語られる出来事だ。

ところが、こういう見られ方は彼女には不本意だった。

ビスランドが貫いた“自分流”

この、ネリー・ブライと競わされる形での世界一周への挑戦は、ビスランドの名を上げる契機となった仕事だ。その顛末を綴った旅行記『In Seven Stages: A Flying Trip Around the World』(コスモポリタン誌連載を書籍化)は彼女の初の著作であり、大いに話題になった。

だが、この旅行は彼女にとって憤懣ふんまんやるかたないものだった。

ジャーナリスト兼小説家のエリザベス・ビスランド
ジャーナリスト兼小説家のエリザベス・ビスランド(写真=『In Seven Stages:A Flying Trip Around the World』より/PD US/Wikimedia Commons

実際に読んでみると、こんな感じで話が進む。

「朝起きた。新聞を読んだ。身支度をした。10時半、編集長に呼ばれた。『世界一周してくれ、出発は今夜』。5時間で荷造り。4日目にはシスコにいた」(Elizabeth Bisland, In Seven Stages: A Flying Trip Around the World (New York: Harper & Brothers, 1891

冒険譚として始まらない。「世紀の大挑戦!」みたいな前置きもない。いつもの朝が、いつの間にか世界一周になっていた……淡々としながらも常に中心は自分である。

なにしろ、この旅行は本当に突然決まったもの。『コスモポリタン』が、ライバル誌の『ニューヨーク・ワールド』がネリー・ブライの旅行を計画していると聞いて、急遽ビスランドの旅行が決まったのである。

そうしたライバル誌同士の競争という面がありながら、ビスランドはこれを派手な冒険譚として書くことを拒否した。センセーショナルな見出しも、劇的な演出もない。ただ淡々と、自分の目に映ったものを、自分の言葉で綴る。それがビスランドの流儀だった。