日覺流の合言葉は「イイワケナシ」

聞いていたように、米国での建設よりもタフだった。でも、最初に、その克服に手を打っていた。着任して建設業者を決める前に、フランス国内で26社を回った。仕事の進め方などを聞き取り、こちらの要望通りにできるかどうか話し合う。「フランス流を知らないのか」と怒る会社が多かった。「いや、そんなことは聞いていない。それよりも、こういうことができるのか、やってくれるのかどうかだ」と言い返しても、「お前は、フランスのことを何も知らない」とそっぽを向かれる。

そんなことを繰り返し、数社に絞り込んで、そこが手がけた工事を全部みて歩く。いくらで契約し、いくらで終わったのかも調べた。さらに「どういう人間を、現場の責任者として送ってくれるのか」と尋ね、全員と面接して「こういうふうにしたいが、ちゃんとやってくれるか」と確認する。ここでも「徹底」だ。部下たちには、口に出しては説明しなかったが、その思いは「背中」から読み取ってくれていただろう。

「無冥冥之志者、無昭昭之明、無●●之事者、無赫赫之功」(冥冥の志なき者は、昭昭の明なく、●●(※こんこん)の事なき者は、赫赫の功なし)――人がみているかみていないかではなく、やるべきことに黙々と専念する意志のない人間は、世に認められるほど明らかな名誉は得られない。人にみてもらおうなどと意識せず、実績を積まないと、赫々たる功名は生じないとの意味で、中国の古典『荀子』にある言葉だ。これみよがしに振る舞うのではなく、やるべきことを黙ってこなしていく大切さを説き、「背中で語る」の日覺流と重なる。(※立心偏、民の下に日)

工事を前倒しで進める手法は、30歳をはさみ、岐阜で「ルミナー」の工場をつくり続けたころに身に付いた。重要な案件をやらせてもらえる以上、何があっても言い訳はできない。そもそも、言い訳は嫌いだ。だから、だいたいは2、3カ月、計画より前倒しで進めた。そうすれば、仮に何か起きて遅れても、帳尻が合うと考える。

リヨンでも、その前にいた米国でも、現地社員が口にした日本語がある。「イイワケナシ」だ。英語やフランス語で言うと、同僚たちに「迎合だ」と反感されかねないが、「イイワケナシ」には誰もが笑顔で頷いた。「冥冥之志」の日覺流発信を、みんなで受け止めてくれたようだ。

常務時代の2005年、水処理事業の本部長となった。東レが持つ逆浸透膜の技術で海水を淡水にする装置などを扱い、入社以来初の営業担当もした。そこで、外国人約20人をスカウトして「グローバルセールスチーム」を編成する。それまで優秀な日本人営業マンを主体にしていたが、顧客企業を訪ねるのは年に1度か2度まで。それでは、急ぎの要求はこなせないし、現地事情を踏まえた営業も難しい。米国時代に営業の難しさを垣間みて以来、「営業は現地の人間主体で」と思っていた。

社長になって毎月、海外出張をこなしながら、グローバル戦略を考える。計10年、2度に渡る海外勤務が、国内で得る経験とは違う思考法もくれたのは、大きい。国内は工場の自動化に早くから取り組み、ほぼ完了し、もう人員削減は要らない。新規分野を手がける分、少し増えるかもしれないが、大きく展開するのは海外で、人材の確保が緊要だ。

先ごろ、母が亡くなり、遺品などを整理した。その中から、自分が小学校6年の誕生日に書いた短冊が出てきた。「理想と目的に向かって常に前進」とある。担任教師が、クラスの全員の誕生日に「何か、自分の言葉を書きなさい」と書かせたものだ。読み直して、驚いた。そんなことを考えていたのか、と思う。

信じがたいことだが、半世紀たったいまも、同じ思いを抱いている。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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